個配分野での宅配についての標準化もしくは定石として「置き配が基本」となるような気がしてならない。
たとえば、コロナ禍収束の後にも非対面受領の需要は拡大を続けている。つまり在宅していても置き配で受領したいという傾向が強まるばかりなのだ。受領のためにわざわざ手を止めてでも玄関口で手渡ししてもらいたいモノ以外は、置き配完了の報せを受信したら、あまり間を開けずに荷物を取り込めばよい。着荷直後や少しの時間差であれば、盗難などの心配も軽減する。
こんなハナシを書くのも、ひとえに気象変動による庫内稼働時間の見直しを、長きにわたりずーっと考察し提唱しているからなのだ。
関与先とも数多のシミュレーションを行い、生産性との折り合いを細かく検証し続けているが、たどり着いた結論のひとつに「社会規範と行動様式の変化」が挙げられている。
今後の物流機能に必要な言葉は「適宜」や「適時」に尽きる。
その大前提となるのは、現在から近々までの顧客要望の推移を「正確に把握・分析・検証・予測・精度向上」というサイクルに取り込んでズレを防止する最適化手順の徹底である。
サービスの抑揚や改廃を決定するにあたって、勘や根拠なき予感は厳禁。
「誤出荷や在庫差異は絶対悪」への過度な傾倒やゼロ乞食病は得てしてWMS依存と同居している。WMSを不可欠なモノとする意識自体が不健全なのだということに気付くべきだ。
関与先やその手のセミナーでよくするハナシなのだが「物流機能は潔癖で透明で澱みも濁りもミスも許されない」などという理屈自体が異常であるし、そんな会社は滑稽で奇妙。
またもや倉庫の稼働時間のハナシであります。今まで何度も書いているので、もはや出涸らし感が強いのは承知しているが、まだ味も香りもしっかりしているはず。
世の中の流れを観察していると、どう考えても「労働時間短縮」はなるべくしてなるハナシだとしか思えない。なぜなら今後は国内の仕事量が減るからだ。
パートタイム契約の現場職は一日6時間労働が主流となりそう――労使双方が一定の合理性に納得できる労働体系、という評価が得られるからだ。
まずは労働者側の視点。
6時間通し労働には休憩や食事を挟む必要がない。ゆえに報酬を拘束時間で除してみれば、最大の時給効率が得られる。つまり拘束時間≒労働時間≒時給発生時間、となる。
さらには週5日出勤し、週30時間労働を満たせば、俗にいうフルタイム労働の
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
ご相談・ご質問等ございましたら、
お気軽にお問い合わせください。