生来の面倒くさがりである。
自他ともに認めるところであり、その徹底ぶりはわれながら見事なものだと思う。
偏りはほぼなく、一事が万事において「あぁめんどうくせぇなぁ」とブツブツ文句を言いながらいやいやこなす、、、は日常であり自然なことだ。
新型コロナウイルスにまつわる、ふたつの「イギ」についてのハナシが多い。
計画や実行の明細についての意義や、止める・止めない、改める・維持する、などの異議を論じる際に、ハナシの基点と起点というふたつの「キテン」の存在によって主眼要点が異なることはあたりまえだ。しかしながら、ディベート下手な政治家や評論家が多いせいか、テーブルの上が散らかるばかりで、なかなかまとまらない。
物流の未来を想うとき、脳裏に浮かぶのは農業の歴史だ。
物流業界が直面している問題や課題、希望や期待の行く末の姿は、農業の今と訪れつつある未来形の中にあると思える。
狩猟依存から脱却した耕作文明は、やがて人類の生存を安定化する基盤となり、膨大で長久な時間の流れの中で、無数の曲折や進化を繰り返しながら今に至っている。
学んで考える対象としてはこの上ないだろう。
コボット達の増殖に圧され、人間の住まう場所は狭まってゆくだけなのか。
悲観とは別物の命運を想う気持が強まる。
自業自得のわが身の明日はさておき、若年世代やそのあとに続く子供たちの未来では、コボットや自律稼働する機器の進化と増殖は福音となるのか気がかりだ。
望外に長い連載となっている。
急速なAI普及と自動化猛進など、利器依存への危機感や憂う心情にいつわりないのだが、かといって絶望や無為を決め込んでいるわけでもない。
われわれが抱いているさまざまな心情――現在の世相や方向性への賛否――に対する解答は、おそらくきっと過去にあるという気がしてならない。
それを寄る辺とできるのではないかという期待が、動転や悲観を和らげてくれる。
コボットの改良と普及がすすめば、人間の仕事は減るいっぽう――現場ではほぼなくなるかもしれない――が現在の一般論だ。
総論に異を唱える者はいない。しかしその業務光景の中で働いている自分自身の姿を具体的に思い浮かべる者もほとんどいない。
そんな想像を働かせるほどの造詣は持ち合わせないし、自動化や協働ロボットのいる現場やバックオフィスでの働きかたなど考えたくない――が大多数の本音ではないのだろうか。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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