「物流を外部に委託することで主業務に集中できますよ」
なんていうしたり顔での物言いは物流会社にありがちだ。
何を隠そう、自身でもさんざん使い倒してきたし、聴き手である商談相手もうなずくことがほとんどだった。
物流会社の営業責任者という当時の立場が吐かした言葉なのだが、「そうとばかりも言えないんだけどなぁ」という意識はあった。
しかしながら個人の価値観やホンネを直截に発言すれば、対面する相手に混乱と困惑を与えるに違いなく、同時に職責として許されるものではなかった。
それについては言い訳する気などまったくない。
当時の自分自身には、業務上の立場と責任が勝っていたし、一応の納得もしている。
「物流形態の選択以前に、まずは自社内で基本設計と原価企画をなさるべきです」
という真ん中まっすぐな言葉を発したうえで、委託を申し出る営業行為を進めることが最上。
そう記せるのは、今だからである。
請けた仕事の中身に偽りや誤魔化しはなかったが、始まりの第一歩が顧客側の最善利益を優先する中身ではなかった。
背に腹を変えずにしのぐ言葉を探さなかった自身を振り返るたびにほろ苦い。
企業内に物流の専門職をおいて、物流機能を内部から強くすれば、経営基盤の下半身にあたる事業の土台が盤石化するし、コスト寄与も大きいことは明らかだ。
今の立場になってからは、その信を曲げたり違えたりすることは絶対にしないと決めているので、誰に対してもどんな場面でも「物流は主業務なのですよ」と断言している。
そもそもの根本には自前主義を良しとする私自身の価値観や志向が大きく作用しているのだと思う。
たとえば私が物販を生業にするなら、物流は自社でまかないたいと思うだろうし、派遣会社との付き合いも望まないだろう。
世間一般には外部委託はビジネスの多岐にわたる機能や場面で重宝されていることも認識している。住宅や自動車をはじめとする種々のリースやレンタルの必要性も否定しない。
それどころか今後の日本では、倉庫やオフィスや住宅などは所有より賃借が有利であると主張していることは、過去記事でもあきらかだ。
言及しているのは、契約形態ではなく物流業務との向き合い方や捉え方についてである。
物流は自前ではなく委託したほうがよい、という根拠乏しい妄信が蔓延している。
内製化の可能性も同時に検証し、項目別に比較した結果をテーブルにのせて議論し、熟考の末に出した経営判断なら異存ない。
実態はそうでなく、安直とも言えるステレオタイプな短絡思考が議論の余地を侵食しているので、それに異議を唱えて歯止めをかけるべく懲りずに吠えている。
「物流は主業務であり、内製・委託の別以前に整えるべき下地がある」と。
「選択と集中」は使い古されている言葉だが、経営判断の基本であり、事業推進の是非を問う場合には拠り所となる。
ここでこだわりたい点は、どの段階で何を「選択」するかについてだ。
ほぼすべての記事やスピーチでは、「選択」とは営業や開発、仕入などの事業機能内部の各項目を指している。
ならば物流も他と同列の主業務だという前提のもと、その中身の第一分岐点である「内製」か「委託」かを選択する意思決定フェーズを設けるべきだ。
主業務の捌き方の手法を選択して集中することは当然なので、あとの説明は不要だろう。
言葉や理屈の概念論を嫌うなら、月次なり年次の支払勘定一覧を書き出せばよい。
総コストに占める物流費の割合を認識したうえで、その業務を外部に丸投げし、「委託という名の依存」とも評価されかねない実態を看過する企業はないはずだ。
もし多少なりともその気配を感じるのであれば、経営層はいち早く対処していただきたい。
事業推進の行く手で何も起こらないよう努めることこそ最上の経営管理ではないだろうか。
企業の各業務に主従はない。
あるのは役割の違いと時期や場面での優先度である。
事業の流れには川上から川下があり、それに付随する情報や時間の流れ方も同様。
各業務に携わる者は、自身の役割を全うすべく従事するだけ。
所属や内容に上下優劣を付すなどは思い違い甚だしい。
誰がどんな料簡で決めつけたり発言しているのか。
創業時にはすべての仕事が重要だったはずだ。
その精神とともに現在の各事業が存えていないのならば、本質的な部分での経営の迷走や不明の可能性を探らなければならない。
すべては顧客との出会いから始まり、サービスや商品の購入と利用で一巡する。
流れの中に無駄なものがあるとすれば、顧客不在の内容を独り歩きさせていると批判されても致し方ない。
なぜなら独り歩きのコストの負担者は紛れもない個客であるからだ。
物流は顧客に商品を届けたり来店時に購入意欲を満たすに十分な品ぞろえと展示を維持するための業務。表立つことは少ないが、要所に打ち込まれるクサビのようなもの。
打ち忘れや打ち込みが甘いと柱や建具がぐらついたり不具合が生じたりする。
その業務を主業務ではないと判じるのなら、根拠は何なのかを今一度お考えいただきたい。
仕入れなければ売れないし、売れなければ物流は必要ない。
それはそのとおりだ。
ならば、正しく届かないのであれば売ること自体が無責任であるし、売らないのであれば仕入れる必要もない、という理屈も同じくまかり通る。
仕入れないし売らないのであればその勘定をする経理は不要。
売らないゆえに顧客がいないなら社員も不要。
したがって人事や総務も不要。
そんな企業には存在価値がない。
だから経営陣も不要。
というのは極論で破綻しているのだろうか。
素顔の私はこんな理屈で物事を捉えている。
重ねて申し上げる。
物流は重要な主業務である。
担う者たちは気概と自尊心をもって業務に臨んでいるはずだ。
経営が原資を投入し、人材補充と専門職養成に尽力することに迷いなど無用だ。
その判断と努力は必ず報われる。
いつの時代も、顧客を想いその期待を裏切らない企業は栄え存えるからだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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