物流よもやま話 Blog

“あたりまえ”で事足ります

カテゴリ: 経営

物流一般の困りごとや障害の解決にはたいそうな技術や高次の思考など必要ない。
ただ「あたりまえに考え、あたりまえに行動する」だけで必要十分となることがほとんどだ。
「雨が降れば傘をさす」という先達の言葉を引用するまでもなく、事が起これば素早く素直に対処すればよいし、願わくば事が起きそうな気配を感じ取れる環境を平素から整え、前もって準備や用意をしておければなおよい。
雲行きに雨の気配を感じたり予報を得たなら、傘を携行するよう心がける、と同じ――ただし用心や対処の先回りが過ぎれば器用貧乏や杞憂貧乏と化してしまうのでご用心あれ。

というハナシを年がら年中ずーっとしている、、、ような気がする。
最近では残業時間規制に伴う労働総量の削減に対する危惧や見立てについての記事や番組について、関与先をはじめとする荷主各位から確からしさの説明や見解を求められることが絶え間なく続いたので、まずは掲題のような言葉でハナシを始めることが多かった。

以下、ワタクシ的にはもはや食傷気味ながら、ざっくりと書いておく。
主眼を置くべきは中長距離便ドライバーの稼働時間が減ることなのだから、

・出荷口数を減らす
・時間猶予する
・実車率・積載率を上げる

のいずれかから手を付けるのはあたりまえである。
近い将来に「もう一丁!」と御上からお達しがありそうな予感が強まるばかりの「更なる縛り」を見越して、上記の二つもしくは全部を実現するように努めればよい。
駄目押ししておくが、物流業界の労働力不足は何をどう講じてもずーっと続く。
なぜならわが国の労働人口は少なくとも今後20年弱は減少の一途となり、2040年の段階で約1000万人の労働力が消失するのは不可避とされている。
なので物流業界の人手不足をとりわけての危機と叫ぶような論調自体があまりにも視野狭窄であると失笑されてもやむなしであるし、論点も単眼的に過ぎて恥ずかしい。
ちょっと引いて、広く世間を見渡せばすぐに判るハナシである。

「出荷口数を減らす」は出荷効率を上げると同意であり、出荷量を減らすとは別物である。
これについては次項の時間猶予とも連動するので、合わせ技として整備する事業者が多いことも補足しておく。業界内デファクト化、のような掛け声がわかりいいようだ。

「時間猶予する」は字のごとく引当から着荷までの所要時間を延長することである。
医療と食品を除く「実は不要不急なモノがほとんどだろーが」に当てはまる物品の物流所要時間を現状の1.3~2.0倍程度にすれば、相当量の輸送物が無理なく運べるようになる。
着日猶予や所要時間延長に反対するのは誰なのか?を関与者にヒアリングしてみればよい。
多くの荷主や物流会社は実在しない亡霊相手におびえている滑稽さに気付くはずだ。

「実車率・積載率を上げる」ことの必要性など今さら言うに及ばずである。
往復路ともに運ぶ量を最大化する努力や方策・仕組の追求は、物流危機とやらに見舞われずとも、平素からせっせと勤しむべきの第一である。言うまでもなく各事業者単位での工夫や努力には限界があるため、同業異業の別なく協業化する動きが自然発生した。本気で考え本気で望めばあたりまえである。
今に至っても業界間格差が大きいのは事実ながら、運行方面別の荷種混合共同配送による実車率・積載率の高水準化とその維持のための合理化はずいぶん前から粛々と進められてきた。
「物流機能で競う必要はない」とあたりまえの解を業界で共有できれば、事の大半は成ったも同然である。2024年に労働時間規制が改変されるのは2019年から判っていた。ゆえに、それを見越して準備を始めた業界がいくつかあった。雨が降ってから傘を買いに行ったり取りに戻ったりするのではなく、降りそうななら持って出かけるほうが無駄な労力がかからない。なによりも服や荷物が濡れなくて済む。そう考えて行動しただけに過ぎないのではないかと思う。

しかしながら世間一般にはそうなっていない。
雨が降りそうなのに傘を持って出ない人は多いし、外出前に天気予報を確認して、雨具の用意を整える人はそうでない人よりも少ないのかもしれない。
転ばぬ先の杖はなかなかつけないし、石橋をたたいて渡る人は奇人変人扱いされがちだ。
なので「備えなき者の憂い」に付け入る商売は多い。
ワタクシがよく言う「ノストラダムス的商法」という類のメシノタネを次々に考え出す者は多いが、心ある荷主各社は「おはなし」程度に聞き流してほしいと願うばかりだ。
風説に心揺れる日があるなら、拙稿を読み返したのちに現場を歩いていただきたい。

上記した三つのことを全部やるのに高額な設備投資や会社挙げての大改革は必要ない。
営業部門と物流部門と経営層がテーブル囲んで、あたりまえの始末をあたりまえの段取りであたりまえに役割分担すれば事は足りる。
「あたりまえのことをあたりまえにできない」のは病んでいるか歪んでいるか鈍くさいかのいずれかなので、速やかに治療するか修理するか鍛錬するかの要あり、と進言する次第だ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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