物流よもやま話 Blog

会社の外見・倉庫の中身

カテゴリ: 経営

企業の倉庫業務は外部者から視えにくいが、その中身が及ぼす影響は大きい。
厄介なのは「何かおかしい」「言ってることとやってることが」「意外にルーズでいい加減なのかもしれない」「期待していたが、こんな体たらくだとは」
のような言葉で企業としての信用や信頼を失う要因になるところだ。言わずもがなだったはずの期待や時間をかけて築き上げてきた好イメージを裏切る、と言い換えてもよい。

しかも、そういう期待や好感は潜在的なものであり、「何かあったとき」にしか顧客や外部者の意識にあらわれない。
何も起こらないことが当たり前。
物流業務の負う特性は時として辛い評価につながる。
外部者や顧客が抱く企業イメージとそのサービスに対する失望や憤慨。
それが顕在化する境界線の説明はとても抽象的で曖昧だ。

漠然とだが「相応」という言葉を想う。
どうであれば「相応」で「及第」なのか。
それは事が起こるまで、誰ひとりとして言葉にしない。
というか、できないし、する必要もない。
求めるものの具体は、個人の感覚が支配する領域。
それを杓子や定規でくみ取ったり測っても正解は出せない。
あえて表現するなら「不満ではない」を及第とすることぐらいしか思いつかない。

ひとたびミスやトラブルが発生すると、そもそもの発端となった事実から発展して、より広く深い部分まで勘繰られてしまうことが間々ある。
連想の独り歩き。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、という言い回しがわかりいい。
ミスが端緒となって、本題から離れた連想やコジツケの産物である誤解や悪評を受けることは不本意ながらもないとは言えない。

商売柄ゆえだが、特に気に病むのは、配送ミスやトラブルが倉庫全体や物流サービスの品質を全否定されてしまうような大ごとに拡大するケースだ。
時としてその企業体質や経営自体が問われるような事態にまで及ぶ。
明らかな配送業者のミス以外は、購入者の怒りや不信が販売者や製造者を直撃する。
WEBのさまざまな情報発信が一個人と企業の相対する遣り取りを公にさらす。
そして本来は当事者間の権利・義務や責任と道徳などの確認と謝罪などで収束するはずの売買トラブルは、当事者以外の匿名権力や利害無関係者によって奇形化と巨大化してゆく。
いわゆる “ 炎上 ” というやつだ。
なぜか突然火消し役のような次郎冠者的な演者があらわれ、騒動の舞台はそもそもの演目すら思い出せない始末となる。

企業が広報や営業活動で発信しているイメージは、そのサービスや商品の末端まで同期浸透していることが多い。だからこそ商品性やサービス特性と同質の満足度やイメージが物流サービスについても求められてしまう。物流は機能なので、その第一義は特別な個性やずば抜けた品質ではない。あくまで主役である購買の補完であるべきなのだ。

物流品質をないがしろにしているのではない。
過不足なければ及第であるし、それ以上の注力や努力は企業にとって不要。なぜなら物流業務はコストに直結するからだ。過剰や余分な付加作業のコストを負担するのは購入者以外に存在しない。それゆえ質実を専らとした仕上げが物流現場の責務となる。
個客サービスを支える視えない品質管理であり、内部で徹底するべき顧客への信義と道徳でもあることは言うまでもない。

そうかといって、「配送をはじめとする物流業務については必要最低限にとどめております」なんていう広報をわざわざする企業はない。顧客も知る必要はない。
企業のイメージや商材を顧客に知らしめる際に、物流サービスの詳細は原則として不要だ。
最新で巨大な物流センターを運営している場合、その中のオペレーションや商品保管のこだわりを宣伝や広報の具にすることはたまにある。
しかしそれは、端々まで行き届いている提供品質の裏付けとして羅列しているに過ぎないことが多い。
詳細を説明してもユーザーマインドに響きにくい倉庫のあれこれ。
それゆえ「きれい・おおきい・あたらしい」といった外見的なイメージを訴求するのみで正解としているのだ。

広報宣伝を「身だしなみ」、営業活動を「発する言葉と所作」だとすれば、物流は下着や食事のマナーにあたる。
小綺麗で洒落た着込みの体裁や理路整然・清廉潔白ともいえる外向きの言動が、汚れた下着や行儀のよろしくない飲食動作や食後の後始末などで台無しになる。
帳消しならよいが、膨らんでいた期待やイメージの大きさを絶対値として、正反対の方向にマイナスのベクトルが向かう。
たいていは増幅増強されてマイナス評価が形成される。

物理的要素の塊である物流業務は、ミスやトラブルの実態が赤裸々にさらされるので、後付けの事情説明は無力であることが多い。
言い回しやタイミングを間違えると「言い訳」「言い逃れ」と受け取られてしまい、事を大きくしてしまう。
ひたすらの謝罪こそが最良の処置とされるゆえんである。

経験上ではあるが、会社の外見と倉庫の中身が不釣り合いになっているケースは多い。
会社の外見と倉庫の外見と倉庫内の美装は一致しているが、倉庫の業務品質や作業管理の方法が不十分であるケースが相当比率ある。
綺麗なお顔と綺麗なお召物、上品で落ち着いた口調。
でも下着はほころんでいて汚れている。
食事の所作が下品で、食べ散らかした挙句に後片付けもいい加減。
見た目や普段言っていることとずいぶん違う行動が多い。
というような印象や決めつけを受けることは、企業にとって絶対に回避したいし、その芽を摘むだけではなく、種を探して除去しておかなけらばならない。

「きれい・おおきい・あたらしい」が「そうなんだけど、、、」「にしては、、、」「そんなことより、、、」という類の批判や否定の枕に使われる不本意を想像すれば、倉庫の中身にこだわるべきは当然であるはず。

言わずもがなとは承知しているが、名実ともに相応及第の外見・中身を物流業務についても両立させることは、経営の必達目標と再確認いただければ幸いである。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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