五月病というのは今でもあるのだろうか?
という疑念が浮かんだ大型連休明けの火曜日だった。
いい齢をして恥ずかしいが、じつは五月病たるものをよくわかっていない。
新入学生や新卒社員が辞めてしまうリスクが高まる最初の時期はGW明けあたり、、、という認識しかない。どうしてそうなるのかの説明をいくつか読んでみても腑に落ちない。
自身はどうだったのか?と大昔の記憶をたどってみても、毎日睡眠不足でヘトヘトで夜明け前から深夜まで必死に過ごしていた映像しか浮かんでこない。(熱心で真面目だったから、ではない)休日は泥のように寝ていたと思う。
「あなたは新人時代に辞めたいと思うことはなかったのか?」という問いになら「辞めたい・逃げたい・怖い・辛い・しんどい、という思いは常在していた」と即答する。
が、それと五月病なる症状は似ても似つかぬものだと断じてよい。
新社会人の苦しみは、新入学生が入部した運動部での練習や勉学のレベルが高くついてゆくのがあまりにきつくて、ひぃひぃ言っている状態に近いような気がしている。
しかしながら練習や仕事が相当にきつくても、それが退部や退学や退職の直接原因になることはまれで、たいがいは本人が高すぎる自己評価つまり自信過剰を悟れぬままであることと、同じ境遇にある同期や経験者たる先輩たちとのつながり方や同舟意識の持ち方、などに問題の根があるような気がする。
念のため書くが、私は同調圧力や全体主義や軍隊方式などが現在のように遺物化する以前の時代を生きてきた者のひとりだが、多くは同調できず、かなりの個人主義で、一貫して納豆と軍隊的行動を嫌悪してきた。生まれてこの方今に至るまで、大勢で大声出しながら同じ動作を乱れなく繰り返したり、いっせいに走り出したり歩き出したり止まったりするのは嫌いなのだ。
なので今の時代に新卒だったなら、怒られたり責められたりも少なくてずいぶんと楽だったかもなぁ、と考えたりするが、即座に「いいや、時代背景にかかわらず、お前は誰よりもスットコドッコイで変な奴であるに違いない」と妙な納得をして頷くこと毎度なのだ。
明治大正昭和平成令和を問わず、まともな大人のいる会社なら、宝物たる新入社員をはじめとする若者が、袋小路や穴の底でもがき苦しむまま救いがない状態を長くは放置しない。
およそ乗り越えられぬであろう試練を意図的に与えたり、目的到達への経路やそれを走破するための伏線にもならぬ心身への過酷な苦行を他者に課すような所業は、仕事と人生の場数が足らぬまま馬齢を重ねた未熟幼稚な愚か者の暴力でしかない。いかなる社会のいかなる組織であっても許されないし、排除すべきであることは普遍的な約束事だと思う。
かといって、上席者の言葉遣いの端々にまで「コンプライアンス」なる制限や是正が頻発しているのはいかがなものか。どう考えても拡大解釈が過ぎるとしか思えんし、後ろ向きな萎縮や厭世観の蔓延を招いている気がしてならない。過ぎた言葉については自身にも覚えがあるし、反省も多々あるが、順法乞食さながらの偏執的叫喚は勘弁してほしいもんである。
会社もしくは何らかの集団において、厳しい指導や教育≠荒い言葉や激しい叱責&苛烈なノルマと精神論、ということぐらいは子供でも心得ているし、それは大昔から「仕事をきちんとしてきたまともな大人」なら、誰しもが当たり前に承知していた。四六時中ギャアギャアと部下を詰めて、わけのわからん精神論を朝早くから夜遅くまで垂れ流すのは、箸にも棒にも掛からぬ中途半端な小心者かつ能力不足者の常だった。だだし「勢い余って」や「言葉のあや」や「ついつい言い過ぎた」を一発アウトにするのはちょっと違うような気がする。
読者諸氏はいかがお考えになるのだろうか、、、と問いかけても「オフィシャルでは本音は言えぬし、文章に残すのも難しいもんがあるよ」と返ってきそうだ。
そもそも護られている側の若者たちは不安ではないのか?と素直な疑問が湧く。
「腫れ物に触るような扱いのまま、厳しい指導や時として親身ゆえの叱責の言葉を受けることなく、時間は過ぎて齢を重ねてゆく。いずれ転職するにしても、このままこの会社にとどまるにしても、はたしていつになったら世間で通用する強靭でしなやかなビジネスマンとしての足腰が培われるのだろうか」
と考える若者は少なくないはずだと思うワタクシは、どこかで思い違いをしてしまったのか?
辛い修行や滅私さながらの数年間、苦労ばかりで報われぬ不遇の時や失敗と挫折で自己否定の連続だった暗黒期の意義が自覚できるようになるのは、はるか後になってからなのだ。
しかしながら今や、滅私奉公や必死で走り続けた新人時代など経ずとも、ちゃんと如才なき社会人となれるし、苦境や逆境に見舞われた際にも、冷静に対処できるような教育システムや社会基盤が整っている――というのが「正」であり「是」なら、老兵は黙して発せずが正しいのだろう。
ハラスメント議論を否定やすり替えるつもりはない。
ただ、旧態依然たるまま存えている特殊や偏向の先にある貴いモノを否定することができないワタクシの独り言を書いてみただけである。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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