物流よもやま話 Blog

おたくがうちを見限るってか

カテゴリ: 経営

「ずいぶん前のハナシなので、もう書いても支障ないだろう」
と思うので、実にくだらないお粗末バナシを一席。

まだ倉庫会社にいたころ、荷主にとある老舗企業があった。私が新規開拓したわけではなく、前任者から引き継いで担当した顧客だった。
名を知る人も多く、知らぬまでもおそらくきっと多くの方々が手にしたり使ったりしてきたであろう品の屋号はいわゆる業界ブランドとしての地位を築いている会社である。

しかしながら、だ。
営業倉庫の経験者や現役の方々はなら肯くはずだが、「有名な老舗=物流は旧態依然のまま」「優良企業≠優良物流作法」であることは往々にしてある。
上記荷主企業もその例にもれず、「顧客にかかわりない作業工程なのによくまぁこれだけ非生産的で不合理な仕組を変えずにいられるもんだ」と内心で呆れてしまう中身だった。

もちろん最低限度の定石を取り入れた改善案、格安な簡易システムの導入で作業手順の簡略化と時間短縮によるコスト低減案――も根気強く数多提出していた。
が、先方の物流統括は頑として首を縦に振らない。
部下である管理職たちは「どうか上手く口説いてください」と私に懇願していた。
が、毎度「ハナシの中身はわかったが、うちではちょっと難しい」という答えが常だった。

私が改善案にこだわったのは、いくつかの作業手順変更で請求総額が下げられるうえに、私の属する倉庫側は減収ながら増益できること明らかだったからだ。
つまり双方益多く、さらには出荷先、、、つまり荷主企業の顧客は発注から着荷までの所要時間が短縮される、という三方よしの絵図がすぐに具現されるのだ。
「断わる理由はないはず」というのが内なる信念だったので、「なんでもかんでも拒絶」にめげることなく何度となく提案の仕方やタイミングを見計らっては対面して口説いた。
が、最後は「うちではちょっと…」で幕引きとなる。
不本意とやるせなさで後味悪いまま客先を後にする日が続いたのだった。

勘の良い読者ならお気付きだと思うが、その荷主には自社物流機能があり、外部倉庫併用によって業務消化をこなしていた。
なので外部倉庫が自社物流よりも合理的で顧客利益に寄与することは物流本部内では禁忌であり、物流本部長にとどまらず事業管掌者たる役員にとっても同じだった。
「自社物流自体を合理化して外部倉庫との連動円滑化や情報共有と作業手順共通化を図ればよいのに」というのは第三者の位置から眺めている物流屋なら誰しもが指摘するところだと承知しているが、かたやで「自社物流と外部倉庫の並立は理屈や建前どおりには収まらない」ことも脳裏に浮かぶはずではないだろうか?読者諸氏各位殿。

今となっては当時の物流本部長や統轄役員の苦しい胸の内も理解できる。
しかしながらその当時は利害関係や立場なりの視点も今とは違っていたので、「双方利になる提案は理にかない益もある」と諦めることなく相手に訴え続けた。

そんなやり取りのまま一年ほど経った頃に、当の荷主企業から「ややこしく冗長で廉いのに多大な作業量」と表現するほかないさらなる依頼が申し入れられてきた。

当然ながらこちらから提出した見積は荷主目論見をはるかに上回る金額となった。
既存業務が人件費や運賃上昇によって利益圧迫の一途であり、作業改善と作業単価の値上げ申入れを再三にわたり行っていたさなかのことゆえいたしかたないことだった。

「うちも苦しい中でおたくに仕事出し続けてるんだから、こんな見積自体が失礼だろう」
と憤慨で語気を強めながら見積書を押し返す本部長。

「全部否定は受け入れられません。せめて単価か作業合理化のいずれかは認めていただけないでしょうか。このままでは最低利益どころか赤字ラインにかかりそうなのです」
「それはおたくの内部のモンダイで、企業努力という言葉を再考してくれよ」と本部長殿はうんざり顔で突き放すようにのたまうのだった。

「来月初の請求書持参の際に、○月からの値上見積と業務改善案承諾の依頼書を提出いたします。今までどおりのゼロ回答であれば、寄託契約解除の申し入れとなります」
その時の自身の心情がおぼろにしか思い出せない。
溜飲下がるといった心情にはほど遠く、かといって苦衷と残念に苛まれたということもなかったような気がする、とぼんやり記憶している。

私の言葉を聴いた本部長は、しばし茫然とした後に絞り出すように
「おたくがうちを見限るってか?おたくごときがうちに三下り半を突きつけて縁切りするというのか。そんなことが許されると思っているのか、君は」
この後の私の返しは読者諸氏のご想像に委ねる。
当然ながら「しかるべき態度と言葉で結んで、その場を辞去した」のだった。

このハナシを思い返すたびに肯きつつつぶやくのは、
「あの時営業倉庫の担当者ではなく、現在のような荷主企業の業務サポート者であったなら、あんな結末にはさせなかったのに」
である。
事の是非や双方の言動を振り返って〇×を判じようというつもりもなく、あの時はそれぞれに事情や立場があり、それなりの決断を下しただけなのだと納得している。

蛇足ながら、双方に苦い結末になったことはご想像どおりである。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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