先日テレビニュースを観ていたら、高齢化・過疎化が進むエリアでの「荷を届ける方法」についてのハナシが放送されていた。
その特集ではドローンを活用して高齢者世帯やへき地に住まう住民に配達できないもんかとアレコレ苦心する人たちの姿が映し出されていた。
受け取り側の利便と実需に焦点を当てるいっぽうで、もはや待ったなしとなっている配達に必要な労働力の不足を憂い案じての方策である――という含みのほうが強かったような気がするが、座して凝視していたわけではないので、あくまで「そんな気がした」程度の感想である。
その画面をぼーっと眺めながら脳裏に浮かだ思いは「そんなに“個”にこだわらずともよいのに」だった。旧い読者諸氏ならご承知のとおり、「地域によっては、自治体が個配機能を内製化するのも有効」と言い続けてきたワタクシなので、胸中で「発送者→個配事業者→受領者という縦割り型個別配送ではあれこれ限界があるんだよなぁ」とつぶやいていた。
つまり高齢者や過疎地居住者は受領難民・受領弱者という先入観を今一度見直し、生活物資をはじめとする物品受領の態様を再考してみてはいかがだろう、、、とたくさん書いたり話したりしてきたのであります。(正確な掲載数などマッタク数えていないワタクシをおゆるし下さい)
ふるさと納税がもたらした新たな自治体間格差に苦しんでいる「特産物や観光資源に乏しいわが町」でも取り組める事業として「地域内集配業務」を何度も推奨してきた。
その機能補助としてドローンやAGV型の配送ツールを導入するならまだしも、無人型の配達道具を主軸に据えて、地域内配送の「困った場所」を網羅しようというのは拙速と感じる。
さらに付け加えれば、過疎地に暮らす年寄りを十把一絡げに弱者扱いするのはあまりにもステレオタイプではないか、という疑念である。
あえて「課す」「乞う」「委ねる」のだ。
だれに?
もちろん高齢者をはじめとする辺境の地で不便に暮らす“かわいそうで恵まれぬ弱者たち”、と印象付けられている人々にだ。
マスメディアやそのご追従連中が勝手に「困っている」と思い込んでいる人々にいろいろやってもらう、というのが不肖ワタクシの案である。
どうじゃ~、、、とふんぞり返りたいところだが、今に至るまであんまり反響ないなぁ、、、まぁ一部マニア的理解者がいてくれるだけでもうれしいし、そのうち陽の目を見るに違いない。
と高楊枝的強がりを繰り返しているのも旧い読者諸氏はご存じである。
個配労働力の不足は地域内配送を自治体が内製化することで大いに補完できるはず。
つまり域内特定施設での荷下ろしまでが配送事業者の業務であり、その先の個配をはじめとする受動的・能動的が選べる受領行為は域内労働力でまかなう。
ここで肝心なのは、いきなり完全内製化を目指さぬことである。のらりくらりできることから少しづつ始めればよいのだ、という割り切りと言い換えてもよい。
域内の着荷場における「荷受」から配達方法や配達エリア別の「仕分」も全部住民の仕事。
もちろん個配も同じく住民自らが行う。
着荷場まで受け取りに来ることができる者は「ついでに○○さんの分も受け取って届けておくよ」を標準的オプションとして励行する。
辺境地や岬の向こう側なら、飛行や航行ドローンでの運搬を想定しがちだが、宅配完結には道具以外の仕掛けと手間がかかる。
受領者本人がドローンの発着する荷受場まで往復できるのなら、何の問題もない。
しかし着荷連絡しても音信不通の場合は、早急に誰かが自宅訪問しなければならない。
この先の細かい説明は必要ないと思う。
一括荷下ろしによる個配手間と不配解消は本来コストの削減となるわけだから、その差額分が配送事業者から自治体に「配送委託手数料」として支払われる。
その財源をどのように域内還元するかは首長と議会と住民が合議して決めることだ。
ワタクシも助太刀いたしまするので感じるところがある方々は、まずご連絡を。
ひとつだけで恐縮ですがご参照のほど(中身がちょっと古い点はおゆるしください)
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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