いったい何日間続いたのか?と即座に答えられない長雨だったが、近畿エリアでは一昨日あたりからようやく途切れたり晴れ間がのぞくようになった。
オリンピック閉幕を待っていたかのように前線が停滞し、多くの人々が盆休みを過ごした期間中は全部雨。問題はその降水量で、大雨という言葉では足らず、災害扱いの説明や表現でなければならない様相だった。
多大な被害が発生し、多数の死傷者や避難者が出た。事後の復旧を含め、関係者の方々の心身の健康とご自愛を祈る。読者諸氏の中に被災当事者もしくは近親縁者の被災者がいらっしゃるなら、心からお見舞い申し上げる。
私の住居エリアでは水害などの被害もなく、自宅で映画鑑賞や家内の雑用を片付けて過ごした数日間だった。雨脚の弱まりを見計らっての食料品買い出しと叔母の命日供養ぐらいしか外出していない。強弱を繰り返す雨音を耳にしながら時折テレビやWEBで災害情報を確認しつつ、自宅でのんびりと過ごした。
日本列島の亜熱帯化は10年以上前から私だけでなく多方面の諸氏が指摘してきた事象だ。しかしながら、その認識と相応の準備や対処の具体については進捗も拡散も鈍く遅いと思えてしかたないのは私だけなのだろうか。
たとえば各地それぞれの行政区画ごとに存在するハザードマップにしても、最新版の最終改訂日がいつだったのかを知れば、愕然とすることが多い。
あきらかに変容している気象条件や当該エリアに隣接もしくは流れる河川の上流部での開発行為の影響を分析検証したうえでの危険測定を行うのは基本事項だと思うのだが、実態はそうとも言えないらしい。
その「そうとも言えない」自治体の数は過半以上になるとも推定されていると聞く。
予算や要員の問題は承知しているが、人命にかかわる行政行為の項目に値段の順位を優先させる愚は排除してほしいと願うばかりだ。
私がよく用いる慣用句に「泣き面に蜂」があるが、まさに今はその表現が相応しい状況だとため息をついている。
長期間豪雨という天災に加えて、どこからやってきたのかさえ計り知れない新型コロナウイルスの感染爆発という疫災。いずれも場所と相手を選ばないという点が厄介で、かつ予報に応じて避難やワクチン、外出制限ぐらいしか対処策がない。種々の後追い対処はむなしい結果しか生まず、万人がことのなりゆきを見守るしかないやるせなさが閉塞感や消沈を強めている。
嘆き悲しんでも無益でしかなく、個々人が自分にできることを真っ当にこなすことが日々の歩みの基本なのだろう。なので個人的には大きな抵抗感があったワクチン接種も甘んじて申し込み、不快極まりないマスク装着も医療用のサージカルタイプを家人と共に着用し、公私にかかわらず集団会食や会議や会合はほとんど断わっている。
不幸中の幸いと感じているのは、以前から移動手段の主は自動車だったことだろうか。少々の距離なら電車や飛行機ではなく自動車で目的地に赴くのが若い頃からの常なのだが、奇しくもそれが今のご時世には好適なのだ。感染に関しての自動・受動のリスクは下がると言われているが、それならば自助のひとつとして嬉しい。
個人的なハナシはさておき、物流屋としてはモノを扱う企業群への影響が最大の懸念だ。
物販の業界が苦しいことに変わりはない。
EC事業者の好調を謳う報道は多い。しかし、、、と懲りずにブレずに何度も書く。
消費総量は縮小しているのだ。つまり沈む地面の上で背比べして騒ぐ子供のようなハナシなのだと承知して評論するなり分析しているのだとしたら、暗闇に踊る道化のようでもの悲しい。
消費総量が縮小するということは物流総量も同じ道をたどる。
消費は物流の母であり、それを超えて存在できない。
近年にぎやかだったBCP。疫災や豪雨に遭遇した今、理路線然と並ぶ各項目や想定と対処を読み返して、静かに目を逸らす企業人は数多いだろう。
そして今回もまた「想定外」「想定以上の」「従来とは異次元の」「未曽有の」などの文言で始まる「できなかった説明」が考察や検証のまとめとして頻出するに違いない。
それはそれで理解できるし、未来を想定したBCPの想定や運用計画は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とブツブツ念じる八卦見の吐く運勢物語とたいして差はないというのが相場だ。
唯一気になっているのは、事業者の災害対策が所在地域と連携したものであったか否かなのだが、具体的な実態調査を行う方策を考えてみたりもする。
特に大規模な物流施設の有事活用は、今後の地域災害対策の柱のひとつとなるはずだ。
事後検証を事前準備に活かすための方法論は、抜本的な見直しを図る必要があると感じて止まぬ今この時なのだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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