物流よもやま話 Blog

物流の宿命「永遠に目指す標高ゼロの山頂」

カテゴリ: 経営

企業内にはさまざまな業務がある。
一般的な区分けとは別に、その企業固有の ‘ ルール ’ や ‘ コード ’ が存在する。
競争や駆け引きの中では白か黒かという区分や明瞭さを善とできないこともある。
不透明さや視えにくさは、時として必要な選択肢になるのだろう。

ただし物流と経理だけは装飾や折合があってはならない部門だ。
他部門のように一定の不可欠な「灰色」の存在は、経理と物流には禁忌。
なぜなら会社がおかしくなってしまうからだ。

企業内のお金に関わるモノは、経営側から透明に見通せなければならない。
経理は入出金の実態を恣意を排して綴り、物流は入出荷と在庫の実数を常に把握・記録する。
経理に台帳があるように物流にも同等物があって当然といえる。

しかしながら、経理では仕訳間違いや帳簿尻の差異が発生するし、物流ではさまざまな荷役ミスや在庫の差異が出る。
「我社ではそんなことは皆無である」という経営者などいないと信じている。
それぐらいはわかっているはずだ。
経理も物流もあちこち間違えているのだと。
それも結構な頻度で。

間違いゼロを目指しながら決してゼロにはならない。
矛盾するようであるが、企業や人間の営みとはそういう歪さに満ちている。

合理性と並立する精神論や固有の意識が常に在って、その組合わせの按配が企業風土や企業個性を作り出している。
問題なのは間違いの内容だ。
間違いに良し悪しなどないが、軽重はある。
顧客に直結するもしくは影響する間違いは、発生と同時に徹底した原因追及と再発の防止を。
至急提出すべきは、〇〇〇レポート、〇〇〇管理シート、〇〇〇報告及び改善レポート、、、その類のフォームはたくさんあるが、実務上では正直言ってピンとこない。
なぜなら単純なヒューマン・エラーがほとんどなのだから、凝ったレポートや長文の顛末書みたいなものを作ることはあまり有効ではない。数か所のチェック項目と3行以内のコメント記入できる1枚の「エラーシート」があれば十分であり、それ以外は口頭確認で問題ない。

この前後の文章は「合理的な業務フロー設計の下、各作業ルールのOJTが施され、そのプリンティングも完了している」という前提で書いている。
悪しからずご認識の上、読み進んでいただきたい。

ヒューマン・エラーなら、同じ人間なのか?人が変わっても頻発するのか?
頻度もさることながら、毎度同じ原因や理由が書き添えられているのか?
それが知りたい。
管理者はいつからそれをチェックしていたのかも。
人員交代か業務ルールの改変でほとんど無くなるのではないか。
貴社でも再検証されてみてはいかがかと思う。

経理と物流はよく似ている。

入ってくるお金。出てゆくお金。貯まっているお金。
入ってくる商品。出てゆく商品。溜まっている商品。
「貯まっている」と「溜まっている」。

お金は貯まるに越したことは無いが、在庫はあまり溜まらないほうがよい。
入出荷の頻度が高く、在庫量が少ない。
そんな会社の経理部は資金不足という言葉を知らないはず。
売上が増えるほど、手元資金に余裕ができる。
アマゾンをはじめとする「売りの強者達」の最大の強みは、回収期間と支払サイトの差異が恒常的な余剰資金を発生させ、それが続くことなのだ。
サイト差が30日なら、年商の12分の1が実質的には自前資金と同等になるし、それ以上なら更に額が増える。帳簿的には期末以外にそんな「勝手に遣える‘ほぼ人の金’」は存在しないが、キャッシュ・フロー的には当たり前のように「金が余ってしかたないから、なんか買うか?」状態になる。
もちろん売上と利益率が維持し続けられれば、のハナシではあるが。

たとえばアマゾンの日本国内売上が1.3兆円でサイト・ギャップが60日から75日とか聴いたから、、、2か月か2か月半。
¥220,000,000,000とか¥270,000,000,000とかが手元にあるのだな、、、、いつも。

そりゃ、倉庫を増やすわなぁ。
システムも設備もガシガシ行ける。
近隣相場無視して、高額時給で採用かけ続けたって平気。
ドローン飛ばして配達したり、暇と金を持て余してる都心の老人に即日荷物が届いたり。
コンテンツマーケットへの進出も、実はカシコイ人達が物販の限界をとっくに察知し、有り余る資金で次への布石を敷いているのだろう。

物流機能に投資を惜しまないという点は素晴らしいの一言だし、顧客還元が具体的に見えるという仕組みは圧倒的な優位性を維持している理由の一つではないかと思う。

なのに最新最高最速の物流機能が生み出す「お届けと返品」という大昔からある原始サービスの顧客満足は、もはやあまり上がらない。
数秒でキャンセル不可になる幾つかのプライム便の、出荷引当確定までのリードタイムは、完全に発送側の都合を優先しすぎたプログラム依存病としか思えない。

そしてキャンセル・リクエスト不受理だったら、、、
キャンセル票のプリントやら、システム連携している配送業者への持込みやら集荷依頼やら――もしどうしてもその手間が嫌なら「受取拒否してくれ」という。
それを配送員に対面して告げる際に、抵抗感やかすかな罪悪感を禁じ得ない不本意さを購入者に強いてでも貫徹する開き直りのような合理性。完遂すべきミッションは「キャンセル」であるから、もし付随するストレスが顧客にあるとしても、それはあくまで二次的な要素。優先順位を変えるつもりなどない。
表面的な顧客クレームや付随サービスの物理的な不満足度をゼロに近付けようと試みる努力と実行力には感嘆するし、現在は他の追随も許さないだろう。

それでも物流機能の根本にある「ゼロでもたいして報われぬ」という宿命は変えられない。
「買ったら、ちゃんと届いてアタリマエ。正当なキャンセルやクレーム対応もアタリマエ」は永遠に目指し続ければならない「標高ゼロの山頂」なのだ。

しかしながら、配送サービスについての顧客からの支持は高い。
他所で買うより廉くて便利で速い。
基本的な決済機能も安心安全。
購入者寄りの諸対応。

だからこそ、、、、、

滞留在庫の山が増えようが「売っていれば何とかなる」
制度会計上の健全性など、ホンネを言えば「知ったことか」
本当のフリー・キャッシュフローが堅調ならば「このまま走り続けられる」

と、胡坐をかいているとも思えない。
アグラを崩さざるを得ない状況まで見据えた伏線を数多く張り巡らせていると感じている。
そんなハナシは門外になってしまうので、これ以上は書かないが。

企業の盛衰は不可避にめぐる。
しかし個々の営みは違えど、永遠に完璧や完全を目指すマインドは共通している。
たとえそれが巨大企業であろうと、中小零細企業であろうと「標高ゼロの山頂」は眼前に等しく立ちはだかる。そして等しく苦しみつつ登り続けなければならない。
思考も行動も不完全で完成することはないであろう「人間」という存在の営みの一つに企業経営が数えられるなら、その宿命も当然であるということなのだろうか。

かってのGMS達がそうだったように。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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