物流よもやま話 Blog

日本式でよいこと・よくないこと

カテゴリ: 経営

社食廃止の流れが止まらない、というハナシを以前書いた。
とはいえ物価高騰に耐えながら社員のヒルメシを支え続けている社食はまだたくさんあるし、食堂という形態ではなく仕出弁当などを格安提供している事業者もある。

社食という福利厚生のありがたさについては今さら説明するまでもないが、その実感は外国籍労働者ならひときわなのだと聞く。
地味ながらも世界に誇るべき制度なのだと思うが、企業への帰属意識が薄まる傾向の裏返しとして、企業が福利厚生の中身を軽薄化していると感じる。
そんな中でも社食維持に努めている企業には頭が下がるし、ぜひやりくりして継続していただきたいと願う、、、まったく関係ない私が言うのもなんだが。

ハナシは変わるが、就労ビザの要件緩和がちらつく昨今では製造業や物流関連業の現場職でも外国籍労働者の条件付き雇用の流れが大きく強くなりつつある。
で、モンダイになるのは諸事にまつわるコミュニケーションと国際水準を意識した報酬が日本人雇用者の給与水準から上にも下にも大きく乖離している矛盾をいかに、、、
という面倒くさいハナシはしたくない。(関与先でおなかいっぱいになるほどしている)

読者諸氏の中で、本社とその他拠点があり、社食完備もしくは仕出し等の食事給付がある企業に属している方ならご承知かと思うが、ヒルメシから宴会に至るまで「民族および宗教上の理由」で口にできない食べ物がさまざまな国籍の社員それぞれにある。
なんでもかんでも拒絶しないまでも、「郷に入っては郷に従う」で済むものと済まぬものがあるのは当然であり、それを偏見なく理解してもらうことは切実なモンダイなのだ。

私などはダメな奴の典型だが、そのへんの禁忌に対する反応が鈍くゆるい。
本来が自然崇拝を旨として存えてきたわが民族には、擬人化された神仏自体が後発概念であるがゆえに、宗教上の戒律や禁忌を冒す罪へのおそれ自体が希薄なのだと思う。
不敬の罪よりも地震や津波や山火事を心底から畏れ、本尊や神体以上に霊峰や天体や大海原を拝み崇めてありがたがる。明確な目的や願望を叶える行為としての祈りは神仏に向くが、情念や無為のままに生まれる祈りは自然に向くという人が多いような気がする――あくまで私見であり、諸宗派や個々の信心に物申しているのではない。くれぐれも誤解なきよう願う。

初詣で柏手を打ち終えて帰宅したら仏壇に合掌。そんな神仏習合はもとよりバレンタインデーやクリスマスを国民的行事として楽しみながらも聖書や聖人のハナシはたいして知らん。
――しかしながら「聖☆おにいさん」は読破している。
神社仏閣を観光するものの、大乗仏教と上座部(小乗)仏教の違い、日本書紀や古事記には興味がない、、、ふと「出雲大社と伊勢神宮はどっちがエライのだろう」と首を傾げたりする。
のような人は極めて普通の日本人であるし、マイナスにばかり作用するわけではない
たとえば、宗教や国籍への明確な区別や意識が薄いゆえに頑なな偏見が少ない――あくまで他国に比してである。ゆえに外国籍の方々からすれば、無宗教者や神への畏敬が希薄な国民と映ることも多いようだ。身近にいる外国籍の方と話してみればすぐに判る。

という件を書いたのは、観光大国化せざるを得ない国情にあって、今もなお「宗教上の理由」に対する意識や気配りが不足しているまま、と痛感する場面が多いからだ。
それは観光地だけのモンダイではなく、企業の外国籍従業員に対しても同じことが言える。
日本式でよいこととならぬことがある、は誰しもが「そうじゃ」というのだが、日常の労働環境の中で無意識化している「日本式」や「わが社式」や「エライ人式」が外国籍従業員にとっては無意識化できぬのなら、、、という考察検証を是非励行していただきたいと思う。
社食のメニュー材料や国によって異なる禁忌事項などは、従業員が皆で相互に理解すべきである、、、ということは皆わかっているはずだが、今一度確認を。

という人事部や社長室からの堅苦しい通達のようになってしまった今回。
黄砂の影響で体がだるいから、という言い訳を末筆にさせておくんまし。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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