先週に続いての「すっかり忘れていたのです」第二段ともいえる今回である。
それは昨日のWEBイベントの事前打ち合わせ時に発覚した。
「そういえばそんなハナシを過去に書いた記憶がある」という毎度のスットコドッコイ状態に陥ったワタクシのお粗末さが露呈した、というだけのことなのだが。
昨日下記のイベントに参加した。
イベントの内容としては、「機能改善にしても作業改善にしても、目指すべきところは〝標高ゼロ〟という平坦で何の変哲もない平凡な場所である」という当たり前のハナシである。
それは過去にさんざん書いたり話したりしてきたし、今現在もかなりの頻度で同じような中身のハナシを関与先ではしている。ただ最近は「標高ゼロの山頂を目指す」という表現を用いなくなっていたので、共演した企業の方の発言内容にハッとしたのだった。
そもそも自分の商売道具ともいえるたとえ話的常用語を失念していたことからして恥ずかしく情けない。しかしながらそういういい加減さは私の持ち味、、、という言い訳はやめておく。
手前味噌で恐縮ながら、過去稿を再読したら一定の理解と共感を得ることができそうなハナシを幾つか書いているし、今再掲しても読むに堪えるのではないかと思える。
こちらは二番煎じと思っても、読み手側からすれば新稿として素直に読んでいただけることがほとんどである。まったく同じ内容を複写掲載するわけでもないからなおさらだろう。
したがって、過去に評判の良かった原稿は、加筆修正の後に掲載するのも悪くないなぁ、、、と改めて実感している最近のワタクシなのだ。
ちなみにその原稿とは以下のハナシ。
上記に限らず、アクセスログをみても、2018年の掲載稿は再読率が高い。
別にその年だけ特別なことがあったり、気合十分だったというわけではない。
毎年平々凡々であり、気合の欠如状態が常なので、2018年も例年通りだったはずだ。
つまり未熟さゆえの筆のバラツキは、原稿の出来不出来を不随意に生み出してしまう、という表現がぴったりなのだと思う。
そういう現象は人生においてあれこれとあった。
筆力以前に、人間力の拙さゆえの不具合や不出来や不整合なのでは?
という真正面からの問いかけなどがあったとしても、一切お返しするつもりはない。
人間あんまり謙虚になりすぎると不幸になりまっせ、とじゃりン子チエのおばあはんが諭しているではないか。大いに賛成、大いに賛同して私も同じように生きたい。
という毎度のハナシでした。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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