能登半島地震の事後については、インフラ復旧に向けての本格稼働が各方面で始まっていると聞く。まもなく政府主導で観光をはじめとする経済支援の諸策が実施予定なので、ささやかながらも自身にできる限りの訪問と消費を心がけたいと思っている。
震災や暴風雨などの激甚災害が発生するたびに思い浮かぶのは「乱暴狼藉と誹られても、思い切って何か所かに集約してしまえば、、、」という尻切れ言葉である。
いったい何を集約するのか?
それは「住人」である。つまり過疎状態のへき地や数年後の過疎化・無人化が不可避という地域の住人を各自治体内の中心的街区に転居してもらうという中身だ。
もちろん多くの課題や感情論が存在することは承知している。
個別事情や外部者には理解できない文化的・風習的な障壁があることも心得ている。
人の営みとは合理や利便や物資だけでは必要十分とならぬ。その土地そのコミュニティで培われ継がれてきた空気感や時間の流れ方が存在し、代替など存在しない。
なので「何もわかっていないよそ者が付け焼刃で」という批判や拒絶感は当然である。
しかし物流屋の思考回路なのか生来のモノなのかは別として、人口減少自治体において居住区の集約化には物理的・経済的な利点が多いことは疑いようのない事実だ。
突き詰めれば災害時に救える命が増え、衣食住確保への不安が減じ、医療や介護のサービスを受けるにあたっても頻度や内容に過疎地やへき地以上の内容を期待できる。
可能な限り晩節を不自由なく過ごしていただくためには極めて有効であるし、個々の生き方や想いを無視したり斟酌しないためにという議論とは相反しないと考えている。
あくまでも総論であり、各人にまつわる各論までたどれば多様な意見や考えが存在することは承知しているつもりだが、福祉や安全確保の最低ラインを維持・向上するためには居住地の集約化がもたらす社会インフラへの投資効果の増強は有益である。
少なくとも今後5年単位での人口動態予測を考慮すれば、都道府県単位では疎に過ぎて用が足らず、より詳細化して市区町村単位での人口分布図を正しく理解しておく必要がある。
以下に総務省と国土交通省の統計資料を貼っておくので、是非ご参照いただきたい。
記述や図表が毎度わかりにくいのは残念だが、拡大して根気よく読めば、「驚いて唸って黙って、しばらく俯いてから天を仰ぐ」というような心の動きがあろうかと思われる。
総務省:我が国における総人口の長期的推移
https://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf
国土交通省:今後の社会・経済情勢の変化
https://www.mlit.go.jp/common/000145138.pdf
総人口と労働人口を維持か微減に止められる地方自治体は皆無に近い。人口急減ながらも高齢者比率は増加し、その内訳は単身高齢者世帯が過半となる実態に言葉を失う。
2050年に都市部およびその近郊で激甚災害が起こったら、救済を待つ高齢者世帯の半数以上が単身住人なのだ。その事実が指し示す危機管理上のリスクは言わずもがなである。
今回の能登半島震災に限らず、阪神淡路大震災以降の激甚災害を振り返れば、避難・救援から被災後の暮らしの立て直しについては、分散よりも一定範囲内に集まっているほうが効率に優れ、より高い効果を見込めることはあたらめて検証するまでもない。情報伝達・情報収集という点でも分散は不利な点が多く、被災時ならなおさらとなる。
水道光熱・道路橋梁などのインフラ復旧にしても、調査・施工面積と個所数が少なければ少ないほど要員数・所用時間は少なく済む。
付帯する物流機能についても然りで、配布場所数や配布地域面積が少なければ少ないほど物資の配布効率は高まる。必要なモノを必要な場所や人に効率よく届けることができる。
今後も増加するインフラ改修予算は慢性的に不足である。被災地復旧を論じる以前に平時の予算対象選定の段でシビアな優先順位付与や取捨選択が不可避となるだろう。
よって何か所かの特定エリアへの人口集約が検討され、その前提でインフラの整備維持の試算が数多自治体で議論されるのではないかと思っている。
隣接する都道府県の各自治体との機能連動や居住エリアの共通化・共有化を前提としてなされるのは当然のなりゆきだと考えている。つまり自県自市のみの都合や事情をあまり勘案できない不本意が付いてまとうことも心得ておかねばならない。
交通網や教育・文化施設だけでなく、今までは自治体が内製化していた水道光熱分野でも都道府県をまたぐ敷設や共同化があたりまえとなるはず、、、ならざるを得ない。
市街地から遠い地域では無人化する集落が年々増えるのだから、前もって行政主導で都市機能のある街区への移住を推進することは一定の効果を得られる。
社会福祉や災害対策にしても、行政監督エリア数は少ないほうが好ましい。さらには経済効率も高まるので、同じ予算なら内容が充実し、時差なく享受できる住人数が増える。
つまり一連の記述は可能性や予想ではなくもはや予定なのだと思う。
上述したとおり、反対意見や反発の仔細の数々は承知しているつもりだ。
生まれ育った土地への想い。
地域に由来する無形の文化や継承事象の数々。
血脈の始まりの地は唯一無二。
大阪と東京の二大都市での生活が人生の大半である自身の至らぬ点や拙い理解多々ありと自認している。体感や実感が足らずとも、上記の感情や価値観を尊ぶ気持に偽りはない。
当事者にとってかけがえなく、外部者が理屈や合理で踏みにじってはならぬと肯いている。
しかしながらインフラ整備のトリアージは断行しなければならない。
優先順位や緊急度の評価が定まったら、即刻予算を組んで手当てせねばならない。躊躇や過剰な合議手順は危険度と必要予算を増やすだけであるし、その負担者は住人しかいない。
生活者たちが上下水道や道路などの社会インフラの利益を余すことなく享受するためには、優先して整備の進む場所で暮らすことが何よりも適当で時間差が発生しにくい。
で、生業たる物流分野での今後の対応についてである。
「全国津々浦々まで」という物流屋の謳い文句はそろそろ取り下げるべきだと思っている。
かけ声ばかりで実効性に欠ける方策は廃れるに決まっているからだ。
知る人も多いが、運送会社の集配エリア改廃は地方部で顕著だ。今までは集荷料金もしくはタリフ全体の値上げにより「なんとか継続します」で済んでいるケースが多いが、「集配圏外です」と通知されるエリアが増えることは疑いようがない。
蛇足の極みだが、遡ること2019年に「実施猶予期間は5年設けますから、その間にちゃんと整備対応してね」と国が通達した制度への怠慢対応のツケを「2024年問題」とかいう名にすり替えて危機混乱の扇動や不可避課題化しているノストラダムス的商法には閉口してしまう。
解決策や対処の具体は過去稿で書いたとおりだ。
まずは劣悪な労働条件を正常化し、その中身を求人媒体に限定せず多彩に広告し続けて、世間が凝り固めてしまった悪評を根気強く改善してゆけば自ずと変化はあらわれる。
業種と職種へのイメージが見直されれば人手不足の現状は多少ばかりマシにはなる。
しかしながら国全体が労働人口不足にあえぎ続ける近未来では、労働者確保は困難の連続となるので、根本的な解決方法などどこにもない、というのが現実である。
差し迫った制度実施を目前にして、今すぐできて今からも続けなければならぬ正攻法たる方策とは、荷主と消費者に配送所要時間の猶予を理解してもらうための広報だ。
特に荷主側には現在の常態化した物流作法の中身を再分析していただきたい。
顧客は現状の納品スケジュールを断固譲らず、その理由も厳然とあるのか?
執拗かつ強硬に一分一秒一日も早い着荷を毎回毎度要求するのか?
という事実の存在についてだ。
「はやいにこしたことはない」という常套句たる価値観がもはや実需の反映ではなくなっているかもしれぬ、という検証を経営トップが旗振りして行ってほしい。
即日・翌日配送はサービスとして用意しているが、結構な割増になる。通常配送料金での所要時間は最短で中二日、場合によっては中三日以上かかります、、、のような世情を踏まえたお願い始まりの通知を発送側が皆で足並み揃えて行うことが、適正労務を確保したうえでの健常な物流現場運営を維持し続ける手順の第一歩となる。
なぜなら顧客が肯いた時間猶予がもたらす倉庫現場と運送便に許される所用時間の拡大は、一日あたりの庫内作業人員数低減や輸送便のワンマン通しなどに即効性があるからだ。
まずは物流品質の評価から「過度な時間短縮」は排除し、競うべき点と競ってはならぬ点を利害関係者で同意し、足並みを揃えて厳正準拠しなければならない。
併せて記すが、今後の地方自治体では以下のようなスキームが一考の価値ありかと思う。
ざっくりとした概要説明にとどめている点はご容赦を。
運送事業者は各地主要拠点もしくは地域別の二次拠点で荷を振り分け、配達地域の最終拠点へ配送。その先は各自治体(市区町村)が事業として配達業務全般を内製化する。
完全内製化が難しいなら機能委託から始めるのもよし。その際には域内人員雇用が委託条件――全部ではないにしても、そんな地方都市があってもよいのではないかと思う。
以前に「駅からのみち」というコラムを書いたが、今回のハナシはより深刻な人口減と多点分散する過疎化地域を有する自治体への提案である。
骨子のみ書いたが、肉付けや補足事項は山ほどあるはず。
大いなる議論として拡がればよいと願う。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
ご相談・ご質問等ございましたら、
お気軽にお問い合わせください。