健康診断してきたが、今年も小太りのままだったので、非常に不本意である。
という愚痴はどうでもよい。
何度か書いているが、物流の仕事についての誤解や誤認を正すことが仕事の一部となって久しい。特に自社物流にかかわる際には、年がら年中手を変え品を変えての説明を絶やさない。
「あなたは物流の仕事に向いています。特に〇〇〇に係わる業務には適性大です」のようなセリフを数え切れぬほど口にしてきた。慰めやお世辞は一切抜きの言葉しか用いない。
それは誠意や厚情ではなく、本心本音である。
その言葉を素直に出せるようにするのが私の生業だと思っているし、密かな悦びでもある。
何年か前に「倉庫の仕事を好きになれない理由」というハナシを書いたが、これが今でも高アクセス数を維持している。内容的にはごくごく当たり前のことしか書いていないが、なぜか多くの方々に読んでいただいているらしく、ありがたいの一言に尽きる。
ひょとしたら読み手には新鮮なのかもしれないが、書いている本人にとっては日常会話の要約や切り取りに過ぎず、とりわけ目新しくも特別な要素もないとしか思えない。
ただ、もしも共感や首肯いただいている部分があるのだとしたら、それは非常に心強いし、何よりの励みとなる。
横着で不肖なワタクシとはいえ、同意や理解を得ることは嬉しく感謝の念がわいてくる。
これからもめげたり諦めたりすることなく、悪態をついたり罵声を浴びせた後には速やかに反省し、物流業務に携わる人々の下支えとなれるように励みたいと思う。
よくあるハナシだが、物流部門への異動はネガティブに捉えられがちである。
たしかに、教科書的にも経営的にも「物流部門は重要」となっているし、現に減給や降格となってもいない。気がかりなのは、物流部門の経由者が経営層には皆無だったり、他部門に比して執行役や取締役に上がる人数が圧倒的に少なかったりゼロであったり、という事実や、社内全般に漂う「物流部門への異動=めでたくはない」という空気だ。
周囲の眼や口を気にするな、と他人が言うのは易いが、当の本人としては心穏やかでも割り切れるわけでもない。その心情は理解できるし、当事者から本音を聴かされてきた。
何度でも繰り返すが、物流業務に携わることは不遇でも不本意でもないと断言する。
関与先で消沈や後ろ向きさが感じられる方々に言い続けているのは、自分自身が腐って落ちたままでは、成せることや巡りくる機会などあろうはずがないし、貴び愛すべき自社商材とそれを購入する顧客に対して無礼極まりないのでは?という問いかけである。無論だが、そんなことは皆わかっているので、我に返っていただくために苦言を吐いたに過ぎない。
臥薪嘗胆、跳躍の直前がもっとも屈む、転禍為福…
などという言葉で心が弱っている人を励ますつもりはない。
なぜなら今は好機でこそあれ、厄災でも不幸でも不遇の時でもないからだ。
今まで見過ごされてきたあなたの才や能が頭角を現す時であることに、誰よりも気付いていない信じようとしていないのはあなた自身ではないのか、と問うている。
のようなハナシをたくさんの物流人にしてきた。
そもそも物流業務に特別な素質や才能など要らぬ。
求められるのは、あたりまえのことをあたりまえではないほどにやり続ける気力と執念と鈍感さだ。優れた物流人とは「偉大なる平凡」を尊び忘れぬ者をさす。
たとえ能力が高く明晰であっても、平凡な営みを粛々と続けることを怠ったり、蔑ろにしたりすれば、物流現場は必ずその報いをその人にもたらす。孟子の言葉を借りれば、何らかの命題を授けられた物流人に、現場はまず筋骨への試練を与え、次に意志への試練を与える。
その試練を耐え忍ぶ術はたったひとつしかない。
観念的かもしれないが、もしあなたが迷ったら基本を思い出してほしい。
物流現場の基本とは、あたりまえの平凡をあたりまえではないほど非凡なまでに追求することに尽きる。諦めたり中途半端だったり余所見している時間や個所があるなら、そこを正すことに傾倒してほしい。
あなたは物流部門に必要な人。だからあなたはやらねばならぬ。そしてあなたは必ずできる。
誰が何と言おうが、私はそう信じている。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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