谷村新司氏逝去。
記憶のアルバムに付されたインデックスのような数々の曲。あなたの歌声は私の中学生時代の出来事や思い出の中に流れるBGMです。
そしてヤンタンでは、おなかが痛いほどの爆笑話やエピソード、今や伝説化されている「重いコンダラのコーナー」など、名パーソナリティとしてのあなたも大好きでした。
どうか安らかにお眠りください。
今年もたくさんの記憶に残る方々が永眠された。中でも同世代かひと世代上の知人や著名人の訃報には愕然とし、言葉を失い、やがて沈み込むような虚無感に苛まれる。
読者の中にも還暦前後の方々が数多くいらっしゃるようだが、ぐったりしたり、俯いて深いため息を吐き出すような訃報が増える一方ではないだろうか。
残り時間は人それぞれであるにしても、やり残しを減らすよう努めねばと思う。
チンペイさんは享年74歳であったが、今の時代としては早すぎる。
私のかかわってきた現場では60代はごろごろいるし、そのうち70代の現役が出現しそうだ。
聞けば、国内各地ですでに何人も存在しているとのことらしい。機会があれば是非お目にかかり、いろいろとお尋ねしたい。どのような業務を担当しているのか興味深い。
生産年齢人口の規定自体を変えるべき人口動態となっているので、65歳以上の労働者は「めずらしい」ではなく「あたりまえ」となりつつある。そうならねば立ち行かぬ実態が物流現場をはじめとする現業には付いてまとう。
60歳で定年を迎える中小零細企業の給与所得者を想定してみる。
(再雇用や定年延長で減給となる場合も中小零細企業の事例を勘案)
月に100時間×(最低賃金+50円)ぐらいの条件で働くことができるうちは、前倒しで受給開始した年金と併せれば生活に支障ないのでは、という試算には無理があるのだろうか。
厚生年金と国民年金では平均的な受給金額が異なるので、あくまでも一例である。ただし、いずれの場合でも税制優遇措置は施してもらいたいと切に願う。
「そんな人が増えて一般化すれば、実質的な年金給付の減額と同じではないか」という至極真っ当なご指摘には「そのとおりです」と回答差し上げる。
健常者ばかりではない高齢者層ゆえ、各人の状況に応じた補正措置や補助は必添だと承知している。そのうえで提案するのは、高齢者であっても労働で収入を得て、年金不足分を自助努力でまかなうのが好ましい、という原則論なのだ。シミュレーションしてみれば明らかだが、労働対価の中から早期減額分を積み立てる仕組みがあれば、まったく働けなくなった後への備えとなるのではないかとも考えられる。「それでは総収支として同じか減額となるだけ」という反論も心得て書いている。何らかの労働に係わることの意義とは、お金の損得以外の効用が見込めるはずなので、電卓では算出できない利益を目途の主眼に置いていると書き足せば理解の足しになるかもしれない。
言うまでもなく国と事業者は高齢者が働く環境整備にいっそう注力しなければならない。でないと福祉財源の膨張による社会保険料の上昇に歯止めがかからない。
高齢者労働をマイナスに捉えるのではなく、引きこもりによる孤立や運動不足による健康障害を未然に防ぐ効果面で評価できるはずだ。
直接的・間接的・副次的の別はあるにしても、結果として心身の健康維持に有効となる施策は高齢化社会の歳出抑制にとって重要項目だと考えている。
チラチラと見え隠れしている「公的年金の標準支給開始年齢は70歳」となれば、60代後半からの受給でも割引減額支給となる。それについての是非議論はここではしない。
義憤に駆られて夜も眠れぬ方々は、政治を変える側にまわるべく立候補するか、各選挙で一票を投じるのが現実的であるし、最有効だと思われる。
制度改変によって60代半ばからの支給では、現在の「ねんきん定期便」にあるシミュレーションを下回る額しか得られないかもしれぬ。
ならば、いちはやく割切って60代、できるなら70代も働き続け、その間に貯蓄を増やすぐらいの勢いで生活設計する、というのがワタクシ的対処策である。
今の時代に生きる我われにとっての悠々自適とは、労働せずに趣味や娯楽三昧に暮らすという意ではないと思っている。まずは若者たちに迷惑をかけぬこと。そして労働対価を得て経済的自助部分をゼロにしないこと。国が進める予防医学の優待サービスを活用し、病の重篤化予防や早期発見に努めることで、個人の医療費は抑えられ国の歳出も同じくとなる。
ありがちな勘違いの指摘を念のために。
我われが従前に積み立てた「年金」は国庫のどこかに保管されており、その中から毎月年金支給されている――という思い込みをしている方がいるなら、この際に正していただきたいと僭越承知で書き添える。
手もとに正確な資料がないので、おおよそのハナシとなるが、おそらく直近統計では現役世代の毎月積立額が年金総支給額の90~95%ぐらいを占めているはずである。
今に始まったハナシではなく、ズーっと昔から年金の仕組はそうなっている。この歩率は年々高まり、今やいわゆる自転車操業状態の資金繰りとなっているはずだ。
「現役二人で一人の受給者を支えている」は誇張でも悲観でもなく紛れもない事実である。
さらに書けば、年金破綻説が荒唐無稽であることも明らかとなる。つまり現役世代の積立額に国庫金を加えた額を受給者按分するので、資金繰りが破綻することはない。
ただし収入にあたる「現役労働者の積立総額」と「受給者の受取総額」のバランス次第で数字は変動する。平たく書けば「入りが減れば出を絞る」となる。
なので年金システムが全世代を苦しめる「可処分所得減少という負の連鎖」と化す前に、50代以上の大人たちは思考回路の切り替えと心の準備をしておかねばならない。
それに得心いったら、次は計画を立てて行動に移すのだ。現役時代に比して大きく収入は下がり、肩書や権限など無いに等しくなる方々もいるだろう。
しかし安い給料で高い意識と重い責任を押し付けられてきた過去に比して、軽やかで気楽な勤務時間となるやもしれないし、「今日行くところがあり、それなりの役にはたっている」という気の張りこそが、心身の病を遠ざける妙薬となるとお考えになってよいかと思う。
「気は持ちよう」ということだ。腹さえ括ればなんとかなりそうではないか。
ついつい長くなってしまった。高齢者の労働と現場の在りかたについては改めて書くつもりだし、過去記事を取りまとめて加筆修正したものを再掲すれば中身が厚くなりそうだ。
そもそも今日はチンペイさんをしのぶハナシを書くつもりだった。
いったいどこでどう逸れてしまったのだろう。毎度困ったもんである。
人の死に遭遇するたび、さまざまな感情や想いを巡らせるが、その最後には故人の生き方を尊びつつ「死は病ではない」と背筋を伸ばすようにしている。
人それぞれにそれぞれの時間を生きる。その長短に優劣や良悪はない。
と頭では考えるものの、感情的には割り切れぬことも少なからず。
「五年目の手紙」「街路樹は知っていた」「センチメンタル・ブルース」
シングルカット以外にもアルバムにはいい曲がたくさん収められていた。
この原稿は「いい日旅立ち」「いい日旅立ち・西へ」を聴きながら書いている。
チンペイさん 本当にありがとうございました。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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