物流よもやま話 Blog

必殺の補助線

カテゴリ: 余談

生来の面倒くさがりである。
自他ともに認めるところであり、その徹底ぶりはわれながら見事なものだと思う。
偏りはほぼなく、一事が万事において「あぁめんどうくせぇなぁ」とブツブツ文句を言いながらいやいやこなす、、、は日常であり自然なことだ。
対面する事態や世の中の常識や規範のような社会性と公共性などどうでもよい、と毎度毎時感じてはいるが、表面的にはおとなしく過ごすように心がけている。
と説明するのも実は「めんどくせぇ」とハガレンのスロウスさながらの今なのだ。

面倒くさがりのくせに几帳面。
何をするのもおっくうで仕方ないくせに、短気でかんしゃく持ち。(大阪弁でいうイラチ)
ぞんざいなのにまだらに繊細。
こだわるくせになげやり。

書いていて「しかし嫌なやつだなぁ」と呆れてしまう。
よくこんなんで生きてこれたものだ、と感心してみたりも。
ひとえに周囲の理解と許容と放置と諦めの賜物、と承知している。
ありがたいなぁ、と心から感謝しているが、本心は他者には伝わりにくいのが残念だ。
人生は難しいものである。

しかしこんなへんてこりんな性格が役に立つこともあるようだ。
それは生業の物流改善でも活かされていて、おかげで何とか生きていける。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、私の場合は「嫌いこそものの手抜きなれ」がさらに転じて「けがの功名」の言い換えで「手抜きの功名」とつながる。
というコジツケの自己弁護は、おっくうでもめんどうくさくもないところが私らしくて好ましい限りだ。人間は自然体が一番なのだとつくづく思う。

物流は引き算の勝負――物流業務の本質と原則を表す言葉だ。
私なりに言い換えれば「いかにやらないか」の突き詰めであり、極限まで簡単に簡易に簡略にを第一義とする意につながるものだ。
根本にあるのは「あぁめんどうくさい」「なんとか楽にできんものか」「誰にでもできて、間違えようのないやり方はないか」「毎日何も考えずに単純に繰り返していればよい方法は?」などの独り言がぐるぐるとめぐる脳内で、業務設計しOJTマニュアルを考える。
結果「短い動線で手数と脚数が極限まで削られた業務フロー」や「最小業務量がはじき出す低コストと属人業務の最少化」などという評価に表現が転じたりする。
「いや、そんなにたいそうなものではなく・・・」「過分な誉め言葉は恐縮と汗顔でしかありません」などと反応しようものなら、「なんと謙虚な」「さすがプロは力みや高揚なくさらっと仕事をするのですね」なんていう実態とはかけ離れた評価や分析がなされていたりもする。

まったく違います。
まったく過大評価です。
まったく見当違いです。
単純に答えが一致しただけです。

と全部ぶっちゃけてしまえばよいものを、ちゃっかり八兵衛よろしく「いや、過分なご評価には恐縮の限りですが、その反面非常にありがたく光栄であります」などと、結局は謙遜しつつも認めるという厚顔無恥なワタクシなのであります。この場をお借りして懺悔する次第であります。

自己弁護するわけではないが、物流業務の改善がうまくゆかない現場に共通するのは「いちいち几帳面に全部やろうとしている」ことが挙げられる。
抜道や短絡路を好ましくないものと意識しており、アイウエオや1.2.3.4.5は順番とおりに最初から唱えなければならない、と頑なに信じている責任者や社員の方々がいる。
まるで挫折や煩悩に苦しむ修行僧のようであり、みているこちらが辛いほどだ。
そしていつも想い出すのは、中学生の頃に数学の授業で習った「補助線」のハナシだ。

なぜか私は数学の中で幾何、、、つまり図形の問題が好きで、それはある教師の授業中の言葉がきっかけとなった。
図形の面積や線の長さを求める問題では、いきなりあれこれと計算したりせず、まずはじっと眺めて、いくつかの線を引いてみるべきだ。一見難解に思えた設問の要求する解は、一本の線を加えることによってあっけにとられるほど簡単に目の前に浮き上がったりする。
それを「必殺の補助線」と呼んで、諸君にはお勧めする・・・という先生の言葉がずっと脳裏に残り続け、今や仕事をする上での思考の基本となっている。
私の仕事観は、常に必殺の補助線をいかに引けるかというところに焦点が合わさり、その結果として「簡易」「簡略」「簡単」が得られてきたのだろうと思っている。
業務フローにおける「必殺の補助線」をどこにどう引けばよいのか。
これが仕事の肝となって久しい。

私が物流設計や改善のイロハのイとしている「イメージスクリーン」にしても、どこに補助線を引けばよいかを決定する基本となるものであり、最終的な業務フローの出来に大きくかかわる要素として不可欠である。
極論を言えば、イメージスクリーンが暗転や途切れなく完結しその後に補助線がひければ、物流業務の大部分は完成したも同然だ。
「けずる」「やめる」「とばす」などの呼び名を冠する補助線の数々が今日もたくさんの現場で伏線化して効いているのだと思う。

必殺の補助線、読者諸氏もいかがでしょうか。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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