「対前年」とはあらゆる経営指標の比較に最も用いられる表現。
反面それが企業の本質的な数字把握を鈍らせている原因であることが多い。
昨年対比というのは、相対比較であって、売上にしても利益にしても経費にしても、「なぜそうなるべきなのか」「なぜそうなったのか」は、もう一歩踏込んで解析しないと判明しない。
昨年度と何もかもが全く同一の諸条件、、、諸環境・諸事情・総社員・総顧客・総商品、、、のようなありえない想定でしか純粋な対比評価はできないのだが、「そのへんは置いといて」「とりあえず便宜上の」「まぁ世間一般そうだから」「じゃあ代案あるのかよ!」「いいじゃねぇかこれで」、、
がまとめの言葉として吐き出される。
物流経費予算も同様。
売上や予算が上位から下りてくる場合、すでに各種経費も確定されている。
なんていう正論はなかなか通じない。
実際にはもっと雑だろう。
売上から原価引いて、営業利益目標引いたもんが経費。
各コストセンターは会議して総額に収まるよう考えるように。
こんな感じでざっくり始まる。
何とかなるのは、前年比という言葉があるからなのだが、そいつを前面に出して「発展成長を続けるわが社」の御旗の下に当期予算を検証すると、売上も利益もすでに達成不可能としか思えない。
いつからそんな数字ができるようなすごい会社になったのか?
しかし、大きな掛声と精神論に逆らうことは許されない。
毎年の恒例行事みたいなもんだから。
というのが圧倒的多数。
起承転結整った物流経費予算が期初に設定してあるなんて夢のまた夢。
対売上比率か対販管費比率あたりがざっくり出ていればマシなほうかもしれない。
私見では、「まぁそんな感じでもよいのではないかなぁ」
が正直なところだ。物流予算に関しては。
運賃が高止まりから更に上昇する基調の現状下では、一定の歩率設定しかやりようが無い。
予算設定し、期中に運賃等の値上が発生した場合、その皺を人件費や資材に寄せるなど禁忌の極み。
売上比なら、0.5~1.0%を上積みし、業務工数の削減を徹底的にやる。
地道だが、それが近道でもある。
人件費削減ではなく、総労働時間削減に絞って進める。
結果的には業務コストが削減されるので、利益圧迫を回避する枠内に収まる。が理想形だといえる。
売上・利益計画の期中修正は当然のこと、という前提で書いているので悪しからず。
どっちみち期中の緊急セールやら販売強化商品の入替なんかで、入出庫と運送経費が追加されてしまえば、物流の当初予算などないも同然になるし、どこの会社でもそんなもんである。
しかし、この手の話を書いたり話したりするたびに浮かぶ言葉は決まっている。
「在庫見切って換金しつつ、仕入や製造体質を変えてゆくことはできんもんか」
全てを既存市場で、とは言わない。
ブランドホルダーこそ、越境を含め、選択肢を並べて検討するぐらいしてもいいのでは?
一体誰がどんな理由で誰のために行わないのだろう。
行う以前にちゃんとテーブルに載せてすらいない。
最近はその手の専門業者も台頭著しいらしい。
新手のバッタ屋みたいなもんだが、手形が当たり前だった時代によくたとえられた「バッタ」になるのが嫌な企業や、別名義の表に出ていない子会社や、ブランド屋の息のかかった問屋がこぞって利用している。
「ぴょんぴょん跳ぶぐらいならずりずり這うほうがマシ」というわけだ。
いずれにしても歩行障害に陥っていることは自明であるが、認めない石頭は多い。
社員の生活や未来を人柱とするような、報われぬ殉死の山を恐れない不遜で下劣な経営者が大勢いるとは考えたくない。
埋めたり燃やしたり切り刻む時代は終わりつつあるのだろうか?
それとも頑なに値崩れ防止やブランド価値の維持を夢想し続け、裸の王様病の進行に気付かないまま終末の到来を待つのか。
市場で敗れ去った自社ブランドがまたひとつ荼毘に付される光景を見つめながら。
定価販売、プロパー、定番、ブランド価値などの言葉は、過剰と断言できるところまで膨らんだ在庫を見切り処分することと二律背反なのか?
工夫次第で「あり」とできないのだろうか?
帳簿上は粗利でも、キャッシュフロー上は真水に近い売上なのに。
真水の溜まった井戸の禁忌を犯す選択をしないのは「信念の貫徹」なのか?
社員の潤いを二の次にしてでも。
「禁忌を犯せば、会社が未来を失い、結果として従業員が路頭に迷う」という言葉は多くの経営者から似たような表現で数多聴いた。
二択しかダメなのだろうか?そのあたりが私には視えていない。
誰か私に正解を教えて欲しい。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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