去る6月19日午後3時過ぎ。
北陸道の小矢部ICを過ぎてまもなく、スマートフォンから突然発せられた災害警報。
高速道路を運転中に具体的な事態把握ができない不安が重なって、普段以上に気が動転した。助手席の家人が「大きな地震。珠洲市で震度6弱」と読み上げる声に相槌を打ちながら、減速して運転を続けたのも束の間のこと、前方の車がハザードを点灯し急減速した。
前後一斉のノロノロは長く続かず、すぐに完全停止してしまったので、てっきり「地震による路面状態の異常の有無確認で通行止めか」と連想していた。
前方からの通行停止は、地震発生と時を同じくして不動寺PA手前地点で故障車が走行路をふさいでしまったからだった。(奇しくも工事規制中で片側一車線通行となっていた)
それゆえ3~4㎞ほど先からまったく動かぬ事態となったのだが、カーナビ画面に事由が反映されるまでの10分ほどは、車列の誰もが地震の影響を思い浮かべたに違いない。
事故車の移動処理を待つまでの間、車載テレビでは臨時ニュースが流れ、震源や地震の規模と各地の震度、現地設置のカメラ映像などの中継が慌ただしく切り替わっていた。
NHKをはじめとする各局内も混乱しているようだった。同じ情報の連続復唱や被災地への電話インタビューの回線や映像不調、ディレクション迷走による画面スイッチの混乱などで、災害不安を助長する要素も少なからず見受けられた。そんな状況下にもかかわらず、何人かのアナウンサー氏の冷静で落ち着いた口調での呼びかけは非常に好ましく、聴く者にはありがたい声となったのではないだろうか。
地震のその後については、読者諸氏ご周知のとおりである。
今のところ物損以外の激甚な被害報告はないということなので、その点は安堵する次第だが、余震への警戒を解くまでは至っていない。
強震地区所在の方々のご不安は察して余りある。
今のところ物流関連の被害や停滞などの情報は届いていないので、このまま収束して元の日常を取り戻してほしいと願う。
しかし嫌な気配の漂う地震だと胸中苦々しくもあり、眉間にしわが寄る。
毎年の天災は自然の営みによるもの。したがって誰にも抗えぬのだと分かってはいても、やり切れぬし、心が重く沈む。特に今からの夏季に見舞われる暴風雨による災害だけでも大いに憂うところなのに、加えての震災などはご容赦願いたい。
今できることといえば、過去の激甚災害の事後を参考に備えや避難の仔細を詰めておく、、、いわば柔道の受け身のような練習が肝心だと思う。
特に物流機能はその典型で、被災後の復旧・復活手順の綿密な想定こそが最善の備えとなる。防災や免災などの謳い文句は絵空事でしかない、と毎度の被災時に知れるので、建屋単体の堅牢性や防災機能の喧伝はほどほどにしておくべきだろう。
百歩譲って、仮にどこかの建屋が防災設備によって難を免れたとしても、所在地域が激甚被災していれば、単独稼働する意味などない。庫内を支えるスタッフは被災して仕事などできるはずないし、そのような悲惨な状況でどこの誰が納品に訪れ、誰が出荷依頼をするというのか。
堅牢な建屋と最新の通信手段や自家発電設備を有する物流倉庫は、災害対策拠点のひとつとして有効活用されるべきであり、平時に自治体とそのような申し合わせを行っておくことなど今や当たり前となっている。
被災時の必須ライフラインには物資供給手段の確保が必ず挙げられる。
さらに今回の自身の体験で痛感したのは、非常時の情報提供の方法をもっと整理するべきだという点だ。スマートフォンの普及率をより高め、通信網のカバー率充実を人口過疎地域でも徹底しなければならない。常につながることと、情報提供側の状況説明や各種数値や予測などの報道項目を統一して、災害報道訓練を行っておくべきだ。
生活者を最優先に置き、さらには物流人などのエッセンシャルワーカーが行動するための基準となる災害速報を平常時に広報しておく必要がある。
各種ビークル搭載、公共交通機関内での情報提供、公共施設、企業、学校、家庭での通信端末利用が完全に近づけば、万人の避難情報や被災者向けの援助・保護情報などの入手が叶う。
その情報こそが物流機能の維持と有効性を支える命綱となるのだと思う。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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