ときおり肌寒い日があるものの、桜の後は一気に夏に向かう――というのが近年の傾向だ。
春めいて心地よいのは僅かな期間しかなく、ゴールデンウィーク頃には25度を超える夏日が続くのは異常でも珍しくもなくなってしまった。
薫風そよぐ初夏の日、なんていうのは黄落の霜月と同様に遠い昔の風情となって久しい。
もはや温帯ではなく亜熱帯化していると思えるわが国の気候は、四季のメリハリを曖昧にさせるだけでなく、粗雑で大味な気象変動の出現をもたらすようになった。
「こんな気候が続けば、人間の情緒や感性にまで変質が起こりそうだ」という憂いが、入梅前のゲリラ豪雨や4月なのに半袖・サンダルの光景を目の当たりにしつつ胸中をめぐる。
激甚災害はもちろんだが、そこまでの指定には至らないまでも相当な被害をもたらす天災が皆無、という年はなくなってしまったように感じる。
昨年は比較的少なかったようだが、コロナ禍の蔓延に世界中の意識が集まっていたことも印象形成に影響していたのではないか。例年ならニュースなどで大きく取り上げられて、人々の注目を集める災害情報の露出が抑えられていたか、短くなっていたのかもしれない。
物流業界は交通インフラと表裏一体の関係にあるわけだが、それは国内物流が陸路に依存してきたからに他ならない。
ほぼすべての到来品が海からで、それに続く経路は鉄道かトラック。
したがって、道路や線路でトラブルが起これば、すなわち物流が止まる。
ここでいう「トラブル」にはいくつかの種別が挙げられるが、中でも甚大で深刻な影響を及ぼすのは天災であることなど説明するまでもない。
地震や大型台風による被害に加えて、近年では急速に発達する低気圧の猛威によって、南の海で生まれてはるばるやってくる台風たちと同様かそれ以上の雨量を降らせる雲の塊が狭小な日本列島の上空にかかり続ける。
なんでも「低気圧の墓場」と言われるユーラシア大陸の東端に近いわが国近辺では、数多の低気圧が「死に絶える前の最後のあがき」に似た活動をすることも多いのだとか。
それが予測難解な気象情報や迷走や急転と報じられることがよくある台風の進路を生む一因となっているらしい。
自然の営みを探る研究は絶え間なく続けられているが、深い理解や全容の把握にはまだ道遠しというのが実情なのだろう。
庶民感覚をもって書き直せば、露地物の野菜の値段でさえ「お天道様の思し召し次第」というわれわれなのだから、その他諸事においても天候に翻弄されることなど当然である。
と、訳知り顔で突き放していては始まらないのが物流屋の毎日だ。
排水経路の整備と倉庫建屋の暴風雨対策などは、平時の備えとして徹底的に突き詰めておかねばならない基本事項だ。従来の「それでも動かす」「どうすればできるか」だけでなく、「止める」「動かない」「守りを固めて静観する」も経営判断としては不可欠ではないだろうか。
自然の猛威の前では、人間の準備や予測はことごとく及ばなかった過去の実例から察して、一定以下の被害や停滞を織り込んだうえでの「止める物流」も英断として認めるべきだ。
無論、医療や数種の食料関連の物流機能は別次元での備えを用意しておかねばならない。
問題は「どうやって別にするのか?」だが、自ずと選択肢は限られてくる。
陸路が断裂して車両運行ができない状況なら、空と海川湖をたどって物資供給するしかない。
近年開発旺盛で、普及目覚しいドローンやロボットの活用が有効なことは読者周知だと思うが、今後も加速度的に進化と実用範囲は拡がる。
短距離短時間の軽量物に限られた現状とはいえ、輸送手段の選択肢が増えることは好ましい。
陸路が使えない事態に陥った時には、船舶による海からの支援を標準化しておくべきだ。陸路や空路に比して輸送時間は長くなるものの、それを埋め合わせるだけの利点も多い。
その第一は積荷の荷姿や種別に制限が少なく、総積載量もトラックなどとは比較にならぬほど大きい。極端なことを書けば、医療施設のプレハブユニットをけん引車両に繋げたまま被災地の岸壁(接岸可能な場合に限る)まで運んで、その場所もしくは最寄りに人員共に送り込むことなども可能である。
もちろん係留する船舶自体が被災者支援施設として稼働することもできる。
海洋国家であり、海運の発達したわが国において、船舶の災害時利用はごく自然な流れとして受け入れやすいのではないだろうか。
あくまで私案であるが、夏を目前に控えたこの時期には各職それぞれに点検などの備えを確認しておく必要がある。
目前足下にあるコロナ禍への対応は火急にしても、日々の暮らしの中で視野の望遠広角化を失念せぬよう心掛けたいものだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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