いわゆるレス言葉の始まりは「コード」「シュガー」「キャッシュ」「キー」「ペーパー」あたりか?としかめっ面でブツブツ言いながら書き始めている。
チケットレスやカード会社のCMで流行ったプライスレスなども結構な古株だろうが、〇〇レスというたくさんの造語が人々の日常に違和感なく混じるようになって久しい。
物流業界でもさまざまなレス言葉が行き交っているが、いちいち書き出して説明したり講釈垂れるほど酔狂ではない。次々と生まれるレス言葉やへんてこりんな新語については「なんだかなぁ」という微妙な想いをふわふわさせつつも、見聞きしても反応なくスルーしている。
ただしたまーに「えっ?」と耳を疑うようなのもあるので、その際には中身を調べるようにしている。しかしながらいずれも詳細を知れば「あぁその仕組を言い換えているだけか」とか「そこだけ切り取っても仕方ないのだけれど」などという「なーんだ、つまらんなぁ」という感想で終わることばかりだ。
「キリトリ禁止」は芸能記事に限らず、物流機能に関する新仕様や画期的システムにも適用願いたい。引当から出荷・配送完了までの起承転結をもって物流機能というのだから、その一部だけが先鋭化したり短絡化するだけでは総合的な評価を下すに足らないことなど今さら念押しするまでもないはずだ。
むしろ部分的な合理化や簡略化や迅速化は、一貫性をもって整えられている作業手順の奇形化や不安定化を招く可能性が高い。なぜなら斬新や先進が示唆する「いいに決まっている」という思い込みの極致たるプラスイメージが先行するあまり、現場でのマイナスから目を逸らしている実態は少なくないからだ。
その一例として昨今流行りの「レス化」がある。
ただし残念ながら、現場作業の軽薄な理解のまま生み出された省略や割愛や短絡は、その前後で新たな補完補助の作業工程を発生させている。にもかかわらずたいした騒ぎにはならないのは奇怪でしかない。正しく評価するためには「総業務量としてどうなったのか」をきちんと計測する必要があると思う次第だが、読者諸氏はいかがお考えになるだろうか。
もちろん計測時には「キリトリ禁止」を大前提としてだ。
このような苦言を書くには理由があって、野放図に喧伝されている安直で場当たり的な自動化・省人化念仏に対する警鐘を鳴らしたいからだ。
上記の念仏現場のいくつかを見学してきたが、前段の付加業務や補完補助業務の発生がない事例は皆無だった。ひどい場合にはあたかも「自動化様」と崇めるような扱いでAGVなどを優先稼働させていた。「対物センサー付きのAGV様がお通りになるぞ。人間どもを感知して停止なさらぬように、静止して通過を待たねばならない」といった吉本新喜劇でも演じないような滑稽場面が連続することは日常。当然ながら皆が奇異に感じてはいるが、正面切って「おかしいよ」と口に出す者はいないのだとか。
だからといって外部者である私が、求められてもいないのに差し出がましく御上に一筆献上したり、「へーんなの」と素直な感想を吐くわけにもゆかず、ただただ「・・・・・」のまま苦行のような時間を過ごすことも何度か。
このようなハナシはキリがないので、このあたりで止めておく。
悪口や批判をしたいわけではなく、本当のことを認めたうえで必要なことの優先順位を検証してほしいと願っているだけなので、悪しからずご理解いただければ幸いだ。
「レス」言葉に絡めての余談――この数年来ずっと違和感が拭えない関西弁について。
それは「むずい」と「はずい」の二語。
今や大御所といわれる芸人諸氏も遣っているが、少なくとも昭和40~50年代あたりまでは、大阪では日常語として存在しなかったように思う。
それは「きしょい」や「ちゃらい」も同様で、テレビ番組や漫画などで一般化したのは平成以降ではないだろうか、というのが個人的な感覚だ。
そのような世代間や地域間の違和感や受容・拒絶の差はいつの時代にも必ずあるので、だからどうだと掘り下げて追及する気はない。
ただし、ワタクシと同年代の芸能人たちが「むずいやんけ」とか「はっずいわぁ」などとテレビで言い放つたびに「あんたが子供のころはそんな言葉なかったはずやでぇ」と独り言のように画面にツッコミを入れている、、、のは第三者的にはキショイのかもしれん。
というとりとめない愚痴とも文句とも知れぬブツブツでありました。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
ご相談・ご質問等ございましたら、
お気軽にお問い合わせください。