物流よもやま話 Blog

誰のために何を?事業継続の目的

カテゴリ: 信条

ついに緊急事態宣言が発令された。
物資の循環を担う物流業界は難しい対応を余儀なくされている。
さまざまな「止める」と「動かす」の葛藤が続く。

一部大企業では、感染者判明と同時に出勤停止のうえ庫内消毒による保健所確認で事業継続可能だが、中小企業の自社倉庫や物流関連企業では必ずしも万全の措置が施せるわけではない。
かつかつの人数で運営し、働く側も家計の維持のために少々の身体の変調や違和感なら「だいじょうぶ」と無理にでも自身を納得させて働き続ける。

荷役減少が生み出す累積赤字と出勤調整が生み出す所得欠損による従業員の家計逼迫。
雇用側も労働者側も現場継続を是とし、「そうあって欲しい」が「そうあるべき」に体を変える。
経営層以下現場の非正規従業員にまで「だいじょうぶ」厳守の空気が漂うようになっている。

言うまでもなく「罹患=過失」でないケースがほとんどなのだが、もはや感染することは悪といった気配がじわりと拡がりつつある。
命を守ることよりも生活や事業を守ることに目が向いているのは間違い、と誰もがわかっているが、足下目先を案じ憂う心情が常識や理性を乗り越えさせるのだろう。
従業員の心身保護と社会インフラとしての使命と事業収益の最低維持がベン図のように重なり、その真ん中で苦悶する経営中枢は正解なき判断を求められている。

単純な想いとしては「従業員・その家族の安全と会社の未来だけは死守」に違いない。
しかしながら、現在の社会情勢下では自己本位な行動や発言と誤解されかねないので、率直で純粋な本音を呑み込んで建前優先で言動管理しているのが実情だと察する。

ちまたに存在するBCMの策定事例には「疫病」などの流行時の行動指針が記されているが、中身の大部分が概論的であり、具体行動については現在マスコミや医療関係者、感染症対策の専門家たちが言い並べている内容以前の目次にとどまっているものが多い。
私見だが、震災や風水害等に織り込まれているような実害想定がほとんどできないまま、BCPの一項目化されていただけだとしか感じない。

さらには現在のように世界中で「非常事態宣言」が出され、国によっては戒厳令と同等の統制がひかれるなかでの具体的な指針など作成できていなくて然りだろう。
未経験=怖さを知らない=具体的な備えに至らない、ということでもある。政府指針や他社の動向を横目で見ながらの対応はやむを得ない。
もちろんだが、私も同様だ。
理由は「未経験ゆえ実感や具体が思い浮かばない」からに他ならない。

今現在を生きる世界の人々が未知・未経験の事態に見舞われている。
パニックや絶望感の蔓延を回避するために、情報統制だけでなく行動制限の実施を行ってはいるが、視えないウィルスを制御するに足らずだ。
最善策として推奨されているのは最新技術でも先端医学でも画期的装置でもない。
都市封鎖や行動制限などの「動かない」という状態を維持することが世界標準の国策なのだ。
天災時の最優先行動はいかなるものを差し置いてでも「逃げること」と同じだ。

この状況下で企業単体のBCP云々は滑稽さを伴って哀しくもある。
しかし、個人生活の維持を優先順位の最上に据えれば、物流機能の停止は許されない。
特に個配機能の稼働状況こそ生命線の鍵を握る要素であり、各社の人員やりくりと制限の中での最大運用を願う。できることなら人員に余裕ある運輸他社からの応援増員などを確保できれば、心強く大きな力となるだろう。

特定物品の買い占めや価格高騰もお粗末で恥ずかしくもある。「民度」という言葉が脳裏に浮かぶたびになさけない気分になる。
休校と在宅勤務によって自宅での昼食の回数が増しても、国内の食材消費総量が爆発的に増えるということにはつながらない。理論的には同じようなグラフとなるはずだ。
ウィルス流行以前と比して人口と各自の胃に入る量、その結果として排便する回数や量も何ら変わりはないのだから、買い物などは全員が今までどおりに行えば不足など起こるはずない。
物流が支障なく流通を支えればという前提付きだが。

万難を排して生活物資のサプライチェーンを止めてはならない。
必需品の供給が確保されている実態の情報開示や店頭やWEBでの実証は、生活者心理に安堵や安心を与える。「暮らしに必要なモノはすべて揃う」という周知の徹底こそが、行動制限を維持するうえでの土台となるはずだ。
外出制限下では個配機能がライフラインの肝であり、置き配などの手法を採れば、他者との接触回避に有効なのは書くまでもない。
個配会社の腕のみせどころであり踏んばりどころでもある。
大手三社が連携してリーダーシップをとり、業界の総力をあげて国難に挑むはずだと期待してやまないし、そう信じている。

業界内での格差が拡がるという指摘や危惧する声があることは承知している。
青いと嘲笑されようが、私は官僚や政治家の中には不公平や人間を苦しめたり悲しませる仕組を憎み正す良心を持つ者が少なからずいるのだと信じている。

政治家が愚民思想を持ってはならないように、民衆は選出した政治家を監視批判するだけでなく、期待し評価し信用する意識も併せ持たなければならない。
内輪もめや批判合戦は何も生まない。
理解と協力と連携と妥協と譲歩。
自律と自制。自尊と自愛。
貧すれど鈍しないのは君子の証だが、小人とてささやかな我慢や道を誤らない毎日を過ごすことができる。

経済数値の下落や見通しを憂いてばかりのマスコミはいい加減に自制すべきだ。
お国の大事を前にオオカミ少年は不要。叫びたければ自室で思う存分にすればよい。
皆で腹をくくって疫病と向き合うことが大切なのだし、収束にむけて一意専心となるべき時に事後を憂うふりをして不安をあおる所作は無責任で不謹慎だ。
世界経済は停滞しGDPは減少する。
それが自明だというなら、疫病の去った後に再興すればよいではないか。
そもそもが内需は底を這っていたのだから、国内の実体経済はたいしたマイナスになるはずがない。生活者のかかわり薄い数値の変化など後からあれこれこねくり回せばよい。

「さあ、皆で戻そうよ」となったら、わが国の婆や爺やオバチャンやオッサンやオネーチャンやオニーチャンたちは結構やるはずだ。
いざとなったらきっとなんとかする。
過去の大きな厄災の時もそうだった。
映像や画像を見直して、記録を読み返せば勇気が出る。
それは「希望」と名を変えて我々の背中を押し、「ふたたびの扉」を開く鍵となる。

物流会社の優先順位第一は機能継続。
そのためには従業員の罹病回避が絶対条件だ。
拠点封鎖すれば機能停止となる。
今回の疫病対策ではBCPの最重要項目として、従業員の行動制限まで視野に入れた管理が必要だと考えている。
機能のために個人の生活を制限することへの批判や躊躇や拒絶は心得て書いている。
必要ならば私個人がどこかの物流拠点で寝泊まりしてもよいと覚悟している。
世間一般の行動制限を無駄にしないためにも、物流機能の停滞回避は必須条件だ。
ならば全体の利益のために物流関連の人員が許容できる限り自己を滅して従事継続する必要があると考える。

倉庫や運輸拠点に携わる人員の「特別な行動制限」を提案したい。
国民が平穏な日々を取り戻すために、物流関連従事者は自己犠牲を許容して欲しい。もちろん全員である必要はない。各拠点ごとに選出された管理と現場のキーマン達だ。パートリーダーならびにスタッフの名が挙がることもあり得るだろう。

会社や自治体が確保したホテルなどの施設で寝泊まりし、日々のメディカルチェックのもとにチャーターされた車両で業務場所へ。
世間から隔離された「避疫状態」を事態収束まで交代で務める。
生活現場への兵站を死守するために物流に携わる有志の理解と身を挺しての滅私行動を願う。
たとえ「そこまでやらなくても」「いくらなんでも度が過ぎている」などの失笑を買おうとも曲げるつもりはない。
「過ぎて・足りて」は「至らぬ・足りぬ」よりもはるかに優であり、それが拙速であっても巧久よりは善であると信じている。

本文の趣旨は物流人としての本懐を具体的に記すことであり、それ以外の意はない。
業界に身を置く者の責務として、意見表明する次第だ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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