誰にも忘れられない言葉がある。
いくつかの心に刻まれた言葉が、今も褪せずに脳裏や胸中をめぐり漂う。
以前書いたハナシもそのうちのひとつ。
そして今回の掲題となっている言葉も忘れられなく、ありがたく、貴い。
仕事をしていれば、誰にでも間違いはあるし、時として大きな損害に発展するようなことも。
失敗や不出来の数なら、、、とへんてこな自慢をしてしまいそうになるほど、たくさんの挫折や失望を味わってきた。
人様が褒めてくださるような成果や結果は数えるほどで、その数百倍以上のダメや足りずや未達があった。
実感として痛切だが、人生のさまざまな場面で「考えすぎ」「余計な心配」「欲が出て」という後悔のまとめに用いる類の言葉は多い。
素直に当初の予定通りに進めていれば、、、
難しく考えず淡々とこなすだけでよかったのに、、、
あれもこれもがかえってあだになって、、、
これらの言葉を何回吐いてきたことか。
同じ轍を何度も踏む愚かさは不治の病のようなものだという自覚はある。だからこそ大事に至る前に気付いて、言動を改めるように心がけて生きている次第だ。
などと書きながら、掲題の言葉を聴いた日のことを思い返している。
それは、とある週刊誌の経営者インタビュー。人気の連載だと聞いていた。
インタビューアーはテレビでよく見かける経済評論家だった。
丁々発止のやり取りでインタビューが進み、ハナシの締めと思われる内容の質問がとんだ。
Q.社長が経営で一番大事にされていることは何ですか?
A.ふたつの「かん」です。
Q.多くの経営者が口にされる「勘と感」ですね。その理由を教えてください。
それへの回答が掲載の言葉だった。
万事において簡潔で明快。
そんなひととなりが凝縮された「らしい一言」が耳に残っている。
天才、当世一、風雲児、革命的、斬新、鮮烈、剛腕、強運。
その人を言い表す言葉は数知れずあったが、外部者の言いえて妙ともいえるどの表現よりも、私の心に居ついて消えない言葉となっているのはなぜなのだろうか。
おそらくきっと、数々の失敗や見込み違いの元は「最初」を忘れたり、捻じ曲げたりしたところにあるのだ、とご本人から聴かされたからだと思う。
「これほどの人でも初心を忘れると、その報いに見舞われるのか」
という驚きまじりの念が、残響のように心の中を巡り続けた。
迷ったときは最初に戻る、は今や普遍的な真理としてさまざまな場面で用いられるが、裏返せば「人は初心を忘れるという同じ間違いを繰り返すものだ」ということでもある。
私にできることは「初心忘るべからず」を忘るべからず、と肝に銘じることぐらいだ。
物流業界に身を置く現在、初心と初動は結末や結果を生み出す最大の要因となることを痛感しながら日々を過ごしている。
「原因と結果は同時に出現する」
と言い続けているのは、初心に忠実であれという戒めを言い換えているだけだ。
「そろそろまっすぐな道を往くがごとく仕事がこなせるようにならぬものか」
と自問したくなるほどの長い年月を経たが、迷いや曲折なく終わる仕事捌きなど皆無だ。嘆かわしいが、一生こんな体たらくのままらしい、と諦めではなく納得している。
分相応といえば、まさにそのとおりなのかもしれない、と。
宝物となった言葉の数々。
ただ繰り返すのみで、一向に改心できない拙身が恥ずかしく情けないが、それでも感謝の気持だけは忘れていない。
私が人様に誇れることは、
尊敬できる先輩方に恵まれたこと。
思考や立居振舞、物言いなどの諸事を見習うべき同輩が数多くいたこと。
謙虚で素直で有能な後輩たちが我慢と理解をもって接してくれたこと。
そう振り返ることができる今だ。
それは幸運であり幸福なこと。
やはり今年もまた同じようにしみじみと想うのだ、と苦笑している。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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