掲題の各語に続く言葉は、「――やっても〝至らぬ〟という思いがいつも居残る」である。
主語は「〇〇研修」だったり、「〇〇養成」や「〇〇技検」と多少の違いはあれど、関与先の誰かに何かを教えたり習得してもらうという点では同じだと思っている。
話した時間ややり取りの回数を数えたことはないが、長い時間の蓄積をほぐしてつぶさに見返せば、その中には忘れられない出来事や人物が少なからず存在している。
成功体験・実績列挙・経歴羅列――それは経年劣化・陳腐化・思考硬化の始まる場所。
「という言葉に目を背けたり、頭から否定してはならない労働年齢になっているのだよ」と自分自身に言いきかせること多いこの数年。しかしながらもっともらしいことを書いたり言ったりするわりには、依然としてまったく人間が練れないまま今年も誕生日を迎えてしまった。
あぁまたか、、、とうんざりしつつも、作り笑顔で短く訂正する誤解――質問内容の前提として固定されている思い込みは何年経っても解消できないままだ。
自社Web上でも説明しているのだが、弊社のサービス内容を熱心に丁寧に読む奇特な方など極めて少ないので、いつまで経っても誤解は解消されぬままなのだ。
今回の年末年始はとても短く感じたが、読者諸氏はいかがお過ごしであったか。
巷では4日もしくは5日からの始業が多いと聞く。とはいえテレワークが勤務体系に定着した企業では、一堂会しての俗にいう「仕事始め」は有名無実となりつつあるのだとか。
そういえば暮れの「仕事納め」も同様だったと思い返した。
今年の振り返りなどもはや書くまでもないが、戦争と疫禍の泣きっ面を物価高と円安という蜂が刺すという一年だったように感じている読者諸氏が大多数なのではないかと思う。
年初の冬季五輪と年末のサッカーワールドカップが、長い暗迷で疲弊していた人々に明かりを灯すような励ましと高揚感をもたらしてくれたことが救いだった。
昨年の最終掲載は大晦日だったが、今年度の第一稿は年度始まりの4月1日となった。
しかしながら、年々「期初」「期首」「新年度」などの言葉が人々の話題になる機会が減りつつあり、伴う式典や催しの類も同様であると感じている
特殊要因とはいえ、コロナ禍での3回目の新年度を迎えることとなった今春は、もはや大掛かりな式典やイベントなどが無いに等しい状況が平常化しているが、無いなら無いで済んでしまうという実態にも皆が慣れつつある。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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