一年の過ぎゆくはやさについてはもう口にするまい、と心に誓ったのは10年以上前だったと思うが、「あっという間に師走だなぁ」と毎年繰り返す自身に呆れている。
オッサンからジイサンへの過渡期にあるわが身ゆえ、ハナシが諄く(クドク)なったり繰り返したりするのは日常茶飯事となりつつある。「一年短い病」などはその最たるものだ。
そういえば天気や景気のひとくだりをハナシのマクラに置くようになったのはいつ頃からなのか、、、ということを思い出せぬまますっかり忘れ、また反復するのも日常になっている。
さらには「今年は令和何年?」を何度となく繰り返して思い悩む。西暦の下二桁から18を引けばよいのだ、、、とわかっているものの、一瞬よりも長い時間を「えーっと」に費やす。
時として西暦もあやしかったりして、「今年は2024年?2025年?」とかなんとか、、、
この数年来、達観や諦観とはちょっと違う「そうですか」という心情で物事の顛末を見聞きすることが多くなった。無関心や無気力ではなく、厭世的になっているわけでもない。
もともと他人様のいちいちに興味がなく、世間一般といわれるところのあれやこれやについても関心が低いことが多い。したがって何につけても同調意識がきわめて希薄だ。
おそらくきっと人格や感性形成上の標準的な部品が欠けているのだと思っているが、今さらそれを懸命に修理修復しようとする気などさらさらない。
あるがままほったらかしのままくたばってしまおうと決めている。
とはいえ本業については一定の決まり事や約束事のうえで関与先やメディアの方々と会話したり取り決め事をこなしている。(わざわざ書かずともあたりまえである)
しかしながら従来の仕事観に変化が表れ始めたのはコロナ禍の少し前だったと思う。
それまで業界内で「是」や「正」とされてきた方法論や定石を必ずしも「始」や「主」に置かなくなった。それは関与する先が自社物流であり、部門機能の向上追求を最優先化できない事情が至る場面で浮き彫りになるから、、、というのが事由としてはもっとも大きいと思う。
併せて、物流至上主義などと唱えているつもりはなくとも、ちょっとした優先順位の入れ替えや合理化効率化のためと講じた策が、他部門から即座に否定されたり協力を得られぬ――という類のハナシを愚痴ったり憤慨することもなくなってしまった。
誤解なきよう付記しておくが、ことなかれ主義や消極的悲観的になっているわけではない。
ただただ「時を待っている」ことが多くなっただけだ。
皮肉なことに人生の半ばを過ぎて、残り時間が少なくなりつつこの期に及んでから「時を待つ」などという心境に至っているのは我ながら喜劇的悲劇だなと嘲笑してしまう。
若かりし頃にはどうやってもホトトギスが鳴くまで待つことなどできないか、鳴かせてみることが常だったくせに、、、と胸中でささやいているのは自分自身。
身近な同世代には鳴くまで待てる人物がいたに違いないが、そういう人は大成して功成り名を遂げているに違いない、と勝手に想像して頷いている次第だ。
組織内での軋轢や覇権争いをうまくいなしたりかわしたりしつつ目的達成や成果を得ることができる才覚は、年齢や経験とともに身につくとは限らない。
むしろどちらかといえば生来の性質から生み出されるものであるような気がする。
かたやで私のような才なき者は失敗や挫折の痛みから待つことの大切さを知るのが常だ。
齢と場数を重ねてやっと、
「ここは一拍置くほうがよい」
「少し間を開けてみるか」
などのようにアクセルをオフにして、かつ外部要因や他部門動静がもららす「物流改善の好機」を待つようになる。
「待つと言ってもたいして残り時間はないのだけれど」と内心で苦笑することが多いことは毎度だが、そこに自虐感は皆無で、自分自身としては素直な本音である。
読者諸氏の年齢層の分布が不明なので、このようなハナシに共感や理解いただける方がどれほどいらっしゃるかわからない。
しかし老いも若きも「ほんとうのこと」を胸に秘めて個人の暮らしと仕事の双方を日々過ごしているはずだと思っている。
曇りなき心の月を先立てるのはいつなのか。
浮世は闇ばかり、と自らとそのかかわりのある諸物を照らすにしても、「いつどこでどうやって」を整えてから事をなさねばならぬ。せっかくの正しい行い・真実の明かりが無駄打ちとなって闇に飲まれて消えてゆくのは忍びなく残念だ。
「あと20年早く生まれていれば」
は家康公という巨大な壁の前で独眼竜が内心吐露するセリフだが、実際に20年早く生まれた武勇多才な武将たちの多くは次々と倒れ、功成らず名を遂げられぬまま消えていった。
ドラマにたとえるなら、どのような生き方が晴れ晴れしく煌めき多いかは、脚本や演出によって大きくちがってくるだろうし、そもそもの原作自体が根底に据えているその人物観と歴史観によって味わいは異なる。それは名もなき人々の物語に置き換えても同じではないだろうか。
年の瀬の最終稿に冗長なハナシを書いて申し訳なく思っている。
迷い苦しむ若手や中間管理職の方々を思うと、心がざわめいて何かを伝えたいという気持が高ぶってくる。そして同時に「私にできることなどたいしてないのだ」という虚しさがにじむ。
拙文を読んで少し救われた気分になったり、感じるところありとして頂けるのであれば、本望でありあれこれと綴ってきた甲斐もあるというものだ。
本年も拙文をお読みいただきありがとうございました。
旧知の方々、そして未知ながらも読者諸氏としてご来訪いただいている数多の方々に感謝申し上げます。
来る年が天災と人災の少ない平穏な一年でありますように。
暮れから年初の数日間、皆様がほほえみの時をお過ごしになりますように。
心から祈る今であります。
エンドクレジットのようにめぐる私の2024年を想いながら最終稿を終えたいと思います。
永田利紀
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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