物流よもやま話 Blog

検品のすごいハナシ

カテゴリ: 実態

国産品に比して、輸入品、特にアパレルや雑貨の品質検品は厄介なことが多い。
輸入元として海外の製造元の生産技術や品質を理解把握し、国内市場に流通させるための検品や付け替え等の「的確で合理的」な作業指示書が用意できる会社は極めて少ない。
そしてそれができる会社は例外なく優良企業との誉れ高いことが常だし、私の知る限りは有名ブランドとなっている。

つい数年前のことだが、とあるSPAと取引を始めて最初の検品依頼の時に、担当者から送信されてきた手順書には唸るしかなかった。
完璧、という表現を安易に用いる気は毛頭ないのだが、その時は「カンペキだな」を何度も繰り返しつぶやいた記憶がある。
メーカーとしての品質追及や当然の基準レベルとしてクリアすべきポイントの完結明瞭な表現は、そこそこに腕におぼえのある検品・加工専門業者や物流倉庫の検品ラインの、伸びた鼻や張った胸や高くなった頭をもとに戻してしまうぐらい強烈だ。
「どうか納品後にクレームが来ませんように」
「本当は手順書作成者に立ち会ってもらい、自社の至らぬ点や改善点を指摘してほしい」
というのが本音だったが、こちらも一応「自称プロ」なので、動揺や不安などおくびにも出さず、涼しい顔で納品後のあいさつに訪問した。
相手からは仕事のスピードと品質への称賛の言葉がいただけたのだが、お世辞の3割分ぐらいを除して考えれば、まぁなんとか及第だった―――ぐらいが実際のところだろうと思っている。

製造者が本気になれば、物流屋の守備範囲は狭まる。
仕事が少なくなるのではなく、余計なことまでする必要がなくなり、本分をまっとうすることに徹していればよいという意だ。したがって、仕事の質を果てなく追及する余裕があるため、よい結果で終わることが多い。
好循環の典型だが、残念ながらそういう幸せな出会いや時間にはなかなか恵まれない。
たくさんのSPAやメーカーと仕事をしてきたが、読者諸氏の誰もが知っている有名どころの企業は、自社の品質基準や不変のこだわりを貫いていることがほとんどで、話していて納得や感心し、時には感動すら覚える。

物流事業者の中にも秀でた検品技術を有する企業はある。
今はメーカーの生産技術や管理技術が向上したため、大掛かりな検品は一部輸入品ぐらいしか用が無くなってしまったのだが、いわゆる「宝の持ち腐れ」のような腕のいい検品職人が在籍する業者を知っている。
残念極まりないのは、いくつかの検品・流通加工会社が廃業、もしくは物流会社が庫内業務のメニューから重検品を削除してしまったことだ。品質検品の要は、裏を返せば製造品質が低いゆえというところに行く着くので、総論としては無用化すべきだろう。
製造品質の向上は検品需要の減少をもたらした。それは喜ばしい限りだし、業務フローとしては検品などない方が好ましいとはいえ、光る技術の持ち腐れは寂しい限りだ。

たとえばだが、今まで手付かずだった保管物品のリペアや簡単な加工などなら倉庫内でも十分に対応できるのではないだろうか。個人的な経験に限っても、アパレルや雑貨、化粧品などの庫内付加作業はいくつも請け負ってきた。
アパレル特化型倉庫などでは検品から修理や再生までの「ぜんぶおまかせ」サービスが昔からメニューにあることは今さら言うまでない。

服装品以外の物品を手がけてきた倉庫会社や自社物流にも、同様に秀でた作業技術を有する庫内人員は数多存在する。その技術の転用による作業メニューの追加を、庫内の既存人員による多能工化でまかなうことで、関係各部門や各社に大きな利便と時間やコストのメリットが生まれる。全社に共通しているべき点は、品質に係る重検品であっても、きちんとこなしてきた過去があるという履歴だ。
現場を支えてきた検品職人たちが今も在籍しているなら、その技能を加工や修理にあてることは順手の策として無理がない。何よりも重要なのは、その技術には論理性・汎用性があって、属人化とは無縁であるという状態維持を徹底することだ。

まず第一に業務フローや作業チャートの図表化が挙げられる。そこから派生するOJTは作業項目ごとに細分化されて各パートが明瞭簡潔な説明に終始する。その双方が噛み合って連動し、徹底した訓練と反復によって熟練を加味してゆく。
経過時間による生産性の向上には一定の上限を設け、神業のような数値結果を追求しないことで、万人に適用可能なルールと成果の目論見が可能となる。
100点のスーパーマン3人分を70点の真面目で勤勉な作業者5人でこなす。
「3人で300点」ではなく「5人で350点」を続けるという選択肢を採るのだ。
100点の人材確保には幸運や稀有な出会いなどが作用していることが多いが、70点なら教育と仕組と勤勉で叶う。つまりどの企業でも大部分のスタッフが該当者となるし、体制を維持するための仕組があれば足りるということだ。

生産性や人件費効率という定規への対処だが、多能工化で充分にまかなえる。業務フローから導かれた総業務時間計画に総労働時間が収まっているのであれば、個々人の場面場面での効率は無理のない一定基準をクリアしていれば大きな支障はない。あくまでも「総合効率・総合生産性」での測定値が勝負どころとなるはずだし、それは血の通ったシステムが属人を凌駕している典型ともいえる。
すべてではないにしても、職人技や特殊技能と呼ばれるモノの大半は汎用化できるし、そう運営するのが管理者の仕事だ。
すでにそうなっている物流倉庫は少ないながらも存在しており、外部者がうかがい知らぬまま粛々と稼働している。

外部者のみならず内部者でさえ、自社の物流機能や技術が世間では秀でた機能なのだと評価されることなど意識すらしていないかもしれない。
事業の屋台骨となる通柱にばかり眼がいきがちだが、それを支える土台を注視してみることも時として必要なのでは?と経営者に耳打ちしたいのはいつものことだ。
堅牢で素晴らしい上屋は、それにふさわしい土台が支えている。
土台が先に造られたのだ、という説明は蛇足でしかないだろう。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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