昨今の労務基準の改変と順守徹底については、今まで何度も書いてきた。
労働者保護、経営の健全化、労働市場の活性化に向けての、、、
さまざまな人々が意見や評論を声高に述べたり記したりしているが、かえって運用者や経営者には情報の取捨選択が煩雑でややこしい状況となっている。
降って湧いたような「労務の専門家」の大量発生を、苦笑交じりの呆れ顔で眺めているのは私だけではないような気がする。
個人的には大きな流れとして正しいと思うし、総論賛成である。
経済成熟国の一員たるゆえんを表す不可避の国策なのだとか。
人口動態の変化による労働人口の減少や、歯止めのかからない内需縮小に策がない、と露見した際に行政が常套的に用いる効能微妙な薬でもある。
平均所得下落を伴うので、消費縮小を助長することにもなるが、広報担当である政府は行政から口止めされているのか、一切言及しない。
企業は労務コストの負担増に喘ぎつつ、遺憾の意と不可抗力のあわせ言葉で「価格転嫁」を宣言し、労働者は権利行使の正当性を堂々と口にできる。
その状態についても異存はない。
労働と対価の評価基準が大きく変化するのだと感じるだけだ。
先月から順次施行されはじめた「働き方改革関連法」は、従来のいわゆる「36協定」をより厳密かつ抜け道なしとするように制度設計されている。
既存人員の総労働時間が厳密に制限されるため、その枠内に収まらない業務については、追加の労働力を別途補充しなければならない。
仕事に合わせて人を手当てするか、人に合わせて業務量を削減するか。
収益確保を絶対条件とする、という冠をかぶったままの選択なので、事業者にとってはいずれの道も厳しいことに大差ない。
かたや労働者たる万人が歓迎しているのかと自問すれば、答には「否」としか浮かばない。
今まで数多の声をひざ詰め・対面して聴いてきたし、その発言や行動の根にある理由も詳らかに承知しているからだ。
まさに同床異夢の典型ともいえる実情が現場にはある。
そしてそれは決してなくなりはしない捻じれや排反する現実であることも、重くやるせない塊のまま胸中の奥深くに沈む。
経済成熟や制度整備は個人の豊かさや満足と必ずしも同義ではないと思い知るだけだ。
パート・アルバイトと呼ばれる非正規労働者にとって、有給取得や福利厚生の充実よりも大事なことはひとつしかない。
それは「手取り額」であり、そのために働いている。
パートさんたちが往々にして「不平不満」を吐き出す際に、最も多く最も強い言葉となる内容は「時給」と「時間」だ。正社員の「年収」と「労働時間」に文字面は似ているが、「時間」の指し示す内容は真逆となることがほとんどだった。
すべての働く者にとって、労務健全化 = 歓迎・厚遇・満足、とは限らない。
以下、多少のデフォルメを加えるが、ご本人が発した言葉のいくつかはそのまま記す。
言葉のニュアンスが失われたりせぬよう心掛けたつもりなので、伝えたい主旨はご理解いただけると思う。
物流倉庫で働くAさんは、勤続12年の中堅パート社員。
数年前から「調整」を外し、月~金の9時から18時を基本労働契約としている。
俗にいう「フルタイムのパートさん」だ。遅い日には20時まで残業することも珍しくない。
更には定休日であるはずの土曜日もほぼ毎週出勤している。休むのは日曜日のみ。
大型連休や年末年始、夏季休業期間も、会社の休日カレンダー通りに休むことはこの数年間皆無に近い。夫と子供たちの理解も十二分にあり、家事などを分担してくれるので、現状の家庭生活に支障はない。
何をおいても、三人の子供たちの塾などの学費と先々の進学費用を確保しなければならない。
夫の給与は横ばいのまま。賞与は減る一方どころか出ないこともある。住宅ローンはまだ10年以上残っているし、贅沢には無縁の暮らしであっても、食費をはじめとする基本的な生活費は子供たちの成長とともに増える一方。数年前までの「調整あり」の働き方では家計所得の絶対額が足らない。一日でも一時間でも多く働いて、総支給額を増やさなければならない。本音を言えば、有給を買い取って欲しいし、日曜日だって隔週ぐらいなら働いても大丈夫だと思う。
そんな説明を笑顔交じりのハキハキした声で小気味よく続ける。
内容はさらに深くなってゆく。
子供たちが全員独り立ちする頃には夫は定年間際。老後の貯えも心細い現状を、少しでも改善しておきたい。
出勤して、働いた分だけ手取り額が増える。所長もわが家の内実は理解してくれているので、勤務時間や出勤日数は黙認してくれている。うちの営業所では私を含めて数人が似たような働き方をしている。
皆元気で、誰ひとり病気やけがをしないし、とても明るい。休憩時間は毎度似たような愚痴や心配事の吐き出しあいで、相槌や同感の頷きが絶えない。
出勤して仕事をしているほうが家事やらその他の雑用よりはるかに気持が楽だ。
余計な買い物や余暇にお金を使うこともないので、節約できるうえにお給料がもらえる。
今の自分にはもってこいの環境なのだと納得している。
親しい仲間内だけのひそひそ話だが、残業削減や一か月の労働時間規制ははっきり言って大迷惑だ。一日に10時間以上働くことなど何の負担でもないし、それが週に6日続いても「心身の過労」なんてことにはなるはずない。
お給料が減ることのほうが辛いし、家計を思えば、それこそ心の病になりそうで不安だ。
国が決めた制度を会社が守ることの重要性は、この前の説明会で理解できた。
でも、いったい誰をモデルにして制度を考えたのだろうか?と不思議で仕方なかった。
少なくても「わたし」ではない。
もっと言えば「わたしたち」でもない。
自分たちが困ったり、苦しくなる仕組を望むわけないのは当たり前だ。
仮に制度のモデルとなる人たちがたくさんいるとしても、せめて選べるようにはできないのだろうか?
働きたい人間の希望を聞きいれる会社が法律違反の悪者になるというのは理解できない。
働きたくても働けなくなるのはつらい、というのが私の正直な気持だ。
彼女のハナシを聴く間、一言も返せないまま小さなうなずきを無言のまま繰り返すことしかできなかった。
生き方や感じ方のそれぞれ。
「わたしの事情」のそれぞれ。
正解などあるはずない。
「現場には本当のことしかない」
ひとりになって、そうつぶやくことが当時の自らに課せられた「わたしの事情」だった。
今でも思い出すたびに漫然とする時間がめぐってくる。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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