倉庫内作業において、入荷がすべての始点でありその後の業務品質を左右する要所。したがって入荷作業にはその企業の幾つかの本質が反映される。なぜなら、入荷品がその後の企業収益を生み出す源となるからだ。
「利は元にあり」と仕入れた商品の確認と検分がその作業に委ねられる。
つまり、その第一関門こそ利益提供者である顧客への向き合い方の序章となるのだろう。
たくさんの入荷現場を視てきた。
そのなかでも二人の担当者が印象的で、記憶から消えない。
今でも惚れ惚れするような仕事捌きを鮮明に思い出す。
その二名の担当現場はともにアパレルECということのみ記す。
二人はお互いを知らない。
担当する荷主は双方とも楽天などのEC市場でそのジャンルのトップサイトを目指していた。
ありがちだが、店頭販売ではありえないような安かろう悪かろう物体が入荷してくる。
当時の私は、泣けてくるほど荒んでいた倉庫会社の立て直しに躍起で、歩留まりの良い新規顧客の獲得を最優先していたので、筋の悪さを見て見ぬふりしつつ契約した若い企業だった。
アパレルのプライドや道徳など皆無。「品質」と「顧客」の二語が会話から欠落していた。
「起業の動機はなんでもよい。時間経過とともに顧客を下に置かない経営者になって欲しい」という弁解がましい建前で自身を納得させていた覚えがある。
しかし、そんな私のモヤモヤはすぐに木っ端微塵にされてしまう。
「劣悪品」の入荷に真っ向から立ち向かう人間がいた。
扱う品物の良と不良を明確に見分け、淡々と業務を消化してゆく。
毎日毎時間、一定のリズムで検品をこなす。
返品再入荷も全く同じ。
新規商材に対しては、現場責任者とともにチェックポイントの決定と作業時間の算出を行い、瞬時にルーティン化してしまう。
こんな入荷職人が二人。
商材は異なっていたが、共に高品質の入荷検品作業を担っていた。
決定的な違いは、入荷品に対する感情と向き合い方だった。
一方は「愛好と情熱」、他方は「嫌悪と冷徹」であった。
もう一つの大きな違いは、販売者側か購入者側のいずれに立っているのかだった。
結果的には同じ作用を生み出すのだが、起点が真逆なのだ。
したがって検品結果の不良品に対する表現が全く異なる。
「お客様に少しでも良い品を届けたい」
「こんな商品が届いたらたまったもんじゃない」
のような感じだろうか。
愛情と熱意のある検品。
冷徹で嫌悪の伴う検品。
規定どおりに作業しているとはいえ、微妙ながらも冷徹検品のほうが不良率は高くなる。
最たる理由は「良悪の判別が難しい場合」の振分けである。
荷主企業のバイヤーからすればたまったものではないが、顧客クレームの未然防止と生産品質の改善には有効。
両者とも検品精度の秀逸さだけではなく、そのスピードもぬきん出ていた。
物流業務の本質だが、正確で無駄のない作業は概して最速の効率を具有している。
「はやい・やすい・うまい」の典型といえる。
以下、いきなり論調を翻すようで強縮なのだが、上述の行は今回の本筋の伏線として張られていたのだとご理解いただきたい。
ここまで読んで、優れた現場管理者なら「それではダメだろう」となるはず。
上記の二名の能力論以前に、そんな属人性は現場に不要とする判断だと思う。
物流現場に個性や意識を持ち込んではならない。
個々の現場に求められているルールと効率の組み合わせで一日の作業消化をこなす。
それ以上も以下も求めてはならない。
その反応が正しいのであり、上述のハナシは美談でも何でもない。二人の担当者の能力のみが認められるところで、その他の内容は最上の評価を得られるものではない。
やや辛口で書けば「現場管理者は何をしているのか?」となる。
本来、現場の大原則は「取扱品と担当作業に個人的な感情や興味を抱かない」だ。
人間がなすことなので、原則論の貫徹に一定の限界があることは認めるが、物流現場では「物語性の排除」が求められる。
更にレベルの高い現場では、二人の入荷職人は「ただただひたすらに業務フローのOJT規定どおりに作業しなさい。手順厳守と生産性目標の達成。それ以外に意識を散らしてはならない。担当荷主や作業現場がどこであろうと。」と管理者や現場担当社員から指導される。
当時の私は現場運営の細部について、担当責任者とじっくり会話する余裕がなかった。
加えて、そこまでの修正を求めるようなレベルの経営状態でもなかった。
営業責任者としての職分を全うし、利益確保することより優先されるタスクはなかった。
できなかった説明や言い訳をしているのではない。
何よりも、私自身のレベルが低かったのだと認めているのだ。
前出の二人が、優秀な管理者の指導の下、感情の入り込む隙間のないタイトで簡潔な作業手順を徹底したら、驚異的な業務効率が生み出されたはず。
「今ならもっと、、、」と唇をかんでしまう。
それ以前に、伝家の宝刀を抜くような検品技術が必要な入荷実態を修正できない企業は、はたして存えるのだろうか?という疑問をぬぐえない。
話をもとに戻す。
残念極まりないが、片方の担当する荷主から「検品の精度を落としてほしい。不良品のクレームは全部交換するほうが手っ取り早い」という要望があり、当時としては名刀のような検品技術を鞘に納めてしまった。
異なる荷主ならその名刀を家宝扱いするところだが、猫に小判だったのだろう。
双方の担当荷主企業は順調に売り上げを伸ばし、各ジャンルで上位に食い込むようになる。
品質を先送りにし、「出荷件数は力」と信じて売上増加だけに注力した企業。
生産現場にバイヤーが立会い、少しずつ品質改善を進めた企業。
EC特有の理屈がまかり通る現状に乗じて、たくさん売ってたくさん儲ける、を徹底的に追求し続けて、社員も顧客も「通過点」と割切る経営でも評価されると信じるトップ。まだ10年程度の会社なのに創業以来のスタッフはゼロ。
結果、どちらの担当企業がより大きな躍進を遂げて今に至るのか。売上だけの評価ではなく。
どう書いても私見交じりになるので、あえてここでは記さない。
たった2社の事例であるし、何よりも販売分析や経営評論する立場にない。
私が知っているのは、現時点での現象であって、結論や真理でもない。
が、若い頃から稀有の売り手を何人か視てきた身としては、つい愚痴やため息が出てしまう。
消費者とは商流に関与する全企業の全コストの負担者。小売業はその最終関与者。
いくらで仕入れていくらで売るかだけで割切ってよいとは思えない。
虚しいが、現実にはそんな会社が増えている。
市場から消えるどころか業績躍進しながら存えている事実。
「なんだかなぁ」と呟いてしまうのも時流から逸れているのだろうか。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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