物流よもやま話 Blog

強さは平凡の中に宿る

カテゴリ: 本質

次の総理は誰になるんじゃ?
セリーグはどこが優勝するんじゃ?
いったいいつまで暑いんじゃ?

などとブツブツ言いながら暮らしている。
今週に入ってからはややマシになったものの、先週あたりまで国営放送を筆頭に国内のテレビニュースでは、オオタニショウヘイの盗塁と本塁打の数>アレンパどうよ?セリーグ優勝争い≧自民党総裁選、の時間枠順で編成される毎日であった。
いずれの話題にもたいして興味が持てぬので、心底ウンザリしつつ「事件・事故や気象予報を端折ってまで毎度毎時に流すほどの中身なのか?」とブツブツ言っていた。

大谷選手が盗塁失敗したニュースに数分を割くのであれば、日本選手団の活躍が目立ったパラリンピックの映像や結果をより細やかに丁寧に報じて欲しかった。
報じればより多い関心が向くだろうし、選手各位と競技団体にとっては次への活動資金を募り易くもなるのではないか。かつてのワタクシがそうだったように、「知らない」がゆえに関心が湧かぬので、競技自体を観ようという動機に結びつかないのだ。
むなしい計算でしかないが、もし大谷選手の一試合分の報酬に相当する額が障がい者スポーツに投じられるとしたら、いったい何人の選手が救われるのかとも思う。

言うまでもなく大谷選手は素晴らしい。しかしながら、彼を取り巻くメディアと広告主には今一度お金の遣いかたや報道の役割を考えていただきたいと切に願う。
そんなことを毎度考えているから、一年中ブツブツ言っているのだろう。

のようなブツブツ・エピソードを書きたかったわけではない。

商売柄、関与先から感謝され褒められることはもっとも光栄でタイヘンうれしい場面だ。
いかなる内容や表現であっても、プラスの評価はありがたく幸甚なのだが、中でも「物流がとても強くなりました」という非物流部門の諸氏からの言葉がいちばん胸にしみる。

「キャパが増えて助かってます」
「作業が速く正確になったことが実感できます」
「物流データの活用提案が増えて、顧客サービスの新しい切り口ができています」

などのコメントを、物流機能の強化や改善の成果として頂戴することが多い。
その際に、会話の冒頭や末尾で「目に見えてうちの物流が強くなっている気がします」と言われると、天にも舞い上がりそうなほどの喜びと充足感が沸き上がってくる。
即座に満面の笑みでお礼の言葉を――さすがにいい齢をしてはしゃぎ倒すのはちょっとなぁ…いやいや弾む声で「あーざすっ!タイヘンうれしいです」と応じていることもたまには。
もちろん「いえいえ、いつも至りませんで恐縮です。お言葉を励みとして一層努めます」と抑え気味の声で返すことも少なくないはずだが、内心は欣喜雀躍さながらである。

旧い読者諸氏はご周知のとおり、「強い物流」という言葉を至上とみなして内心に掲げ、今までヒィヒィぜぇぜぇ励み、ブツブツと小言をつぶやいてきた。
この言葉が好きな理由は、関与する事業者によって「強さ」の中身が千差万別であるからだ。そして規模や数量などの比較だけでは評価できない価値観であることもしかりだ。

変わることなく訴え続ている持論の核に据えてきたのは「物流は事業の下半身」であり、業種業態によっては経営の下半身ともなりえるという大原則である。
それにつけて見定めなければならぬのは、上半身たる諸部門の輪郭や実態や価値観である。均整のとれた全身像となるべく、経営は四方八方に目配せしつつ、容姿と中身を整えてゆく。
細身で筋肉質だったり、巨躯で馬力強烈だったり、しなやかな体躯の長距離走破型だったり、、、いずれにしても下半身が脳をはじめとする上半身の要求に応えられなければ、歩行も走行も跳躍もおぼつかなくなることは自明である。

つまり強靭さや逞しさや迅速さなどの要素に応じた連動機能であることが、事業の下半身たる物流の役割であり責務なのだ。
長い道のりを延々と歩き続けるときも、高みや対岸に向かって跳躍するときも、過酷な登攀(とうはん)の連続のときも、下半身たる物流機能は滞りなく粛々と動き続けねばならぬ。

関与先によく言う言葉がある。
「物流に限らず、玄人と素人の差は執念の強さなのです。できたことを数えるか、できていないことを数えるか、の違いと言い換えてもよいでしょう。相反するようですが、できないことを即座に切り捨てることができるのが玄人。できそうもないと感じているのにこだわって諦められないのが素人。素人は足算。玄人は引算。割切りと見切りこそが肝要です」

強い物流をつくりあげるための要件とは、できることの数を増やし、できないことは排除してゆく作業の繰り返しなのだが、それにつけての勘違い厳禁とすべきは、“できないこと”の見立てである。「できない」は「あきらめる」と同義ではなく、できないと判ずる前に「あきらめなければならぬほど頑張り、突き詰めて考え抜いたのか」を胸中で復唱していただきたい。
このような思考過程を経ての「未達成項目の中から“結局報われないこと”や“できないままで放置されること”を排除し、現場機能の脂身を削ぎ続ける」が正となる。

上半身の動きに同調したり少しだけ先んじて待ち受けたりするためには、常に「できる」を用意しつつ、「できるための条件」を予測準備しておく必要がある。
したがって無理難題を叶える夢想や達成願望にとらわれて報われぬ努力を続けるヒマはない。何ができることで何ができないことなのか、を物流責任者は見極めなければならない。

もし上半身の要求が「突飛な無いものねだり」だとしたら、迷うことなく断るべきだ。
自信をもって断る判断ができないのなら、上述した予測や準備が足りていないか、主体的な判断基準もそれを策定する能力も持ち合わせていないことになる。つまり経営や事業にぶら下がっている打たれ放題のサンドバッグのようなものでしかないと嘲笑されてもいたし方ない。
「物流は事業の根幹を支える主業務なのだ」
という自負心と自尊心が持てぬ管理職やそれを志す者がいるなら、ご自身の考え違いを改めていただきたいと強く願う。この手のハナシは過去掲載に山ほどあるのでご参照のほどを。

強い物流とは強い営業体や製造企画や財務機能と同期同調しているのが常だ。
頭が考えて上半身が動こうとすれば、下半身が第一歩を踏み出すのは当然である。

そんなアタリマエができていない事業者の多さにお気付きだろうか。
アタリマエなことをアタリマエではないほどにやり抜く。
偉大なる平凡こそが物流機能の真骨頂と言い続けているいわれである。

強さは平凡の中に宿ると信じている。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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