年齢とともに移り変わるものがあるとしたら、ワタクシの場合は「こだわり」のいくつかがそれにあたる。読者諸氏それぞれにも同じような変遷があると思う。
公私の別なく、少しづつだったり、気が付いたらだったり、なんらかの契機によって、、、と移ろいの態様はさまざまだ。かつての頑なまでの執着や主張の数々が、いつのまにか消失していたり、希薄化しているような事柄は年々増える一方だと感じている。
「ひょっとしたらこれを加齢による衰えというのか?」などと考えたりもするが、それだと寂しいばかりなので、ちょっと言い換えて「老成である」と思い込むようにしている。
こだわり解除や改変にまつわるアレコレはいくつかに仕分けられる。分類してみたら「それは…のようなものだな」という答えに行き着く事象が最も多いような気がする。
たとえば出身校や所属組織のハナシが好きな御仁は世に多いが、ワタクシはその手のハナシにあまり興味がない。
とはいえ、世間様に混じって生きてゆく限りは、他者が発する評価や意見に興味が湧かなかったり、受け容れがたい中身であっても、あたまから拒絶や無視するわけにもゆかない。
なのでそのたびに不本意や不承知を背中に隠しながら黙して過ごすことになるわけだ。
今までは「学歴や所属企業の優劣にこだわるのは滑稽で喜劇的。同窓意識もしかり」と内心で切り捨ててきたのだが、この数年は同窓についての受け止めがちょっとかわってきた。
同窓生≒最寄り駅が同じ地域に住んだことがある者同士
というのが腑に落ちて違和感なくなってきた。同窓生同士の親近感は同じエリアで同じような風景を眺めたもの同士、という寄る辺なき共有感に近い。「共通=共感」という、おぼろで芯のない好感やわけのわからん期待がふわふわと漂っているに過ぎない。
ただし夢から覚めるがごとく少し話せば明らかになるのは、駅からの距離や住んでいた住居形態や当時の経済事情、そして住んでいた時期――駅前の景色や店舗についてもことごとくかみ合わないし、そもそもそのエリアに対する各々の抱いているイメージ自体が全然違っているという事実。なので会話の後味は微妙なものになるパターンが少なくない。
というのが個人的な経験から辿り着いた感想である。あくまで「個人的な経験」からのハナシなので引算や足算してお読みください。もちろん「同窓」に強固な連帯感や同族意識に近い繋がりを刷込んで悦びとする人々を否定するつもりなど毛頭ない。ただ単に自分自身の内心には欠片ほども存在しない感情や感覚だというだけのハナシである。
仕事においても、価値観や善悪の分岐点や評価基準などの変化がいくつかある。
なかでも顕著なのは「いいかげん」をよしとする事項が大いに増えたことだ。
ひと昔前は「物流業務は永遠に標高ゼロを目指す登山のようなもの」と断じていたが、この数年来は「いいじゃねぇか、たまにミスっても、ちょっとぐらい在庫が合わなくても」と思うようになってきた。自社物流に深くかかわる中で遭遇した出来事に自身の価値観や道徳観が大いにゆすぶられたことが何度もあった――そんな経験が作用しているのだと思う。
事業には優先順位があり、時として物流現場や物流戦略にとって好ましくない影響や余波が発生することあるが、その場合は総じて「甘受する」という抑制と忍耐を宗としなければならないことが多い。もちろん甘受するべきを是とするばかりでは事足らぬのも当然である。伝達される事象の内容によっては、断固反対や再考切望の申し入れも時として必要となる。
この手のハナシは過去掲載にたくさんあるが、少しづつ言い回しや善悪指摘の抑揚が変化しているはずだ。ワタクシとしてはそのような変化を熟成と思うようにしている。
「お前の信じる物流作法の前提条件は、事業全体を見渡せば単なる物流至上主義の独善でしかなく、ぞんざいな自己主張を理屈で並べているだけ」と自責することが何度かあった。
物流機能を下に置く偏見や無知には抗議反論するにしても、従来の見識を改める出来事に遭遇するたびに「事業の最下流を担う機能の役割とは?」を立ち止まって再考してきた。
縁の下で上屋を支える・人間に例えれば下半身にあたる、、、はさんざん言いまわしてきた言葉だが、流れを引き継いで淀みなく海へと送り出すように努める、という表現も心の中で復唱しなければならないと思うようになった。
私が育った地域の北端は大和川という河川の最下流域である。
河川敷を西に走れば、すぐに河口にたどり着くが、そこはもう海の領域となる。
河口付近から上流にかけては定期的に浚渫(しゅんせつ)工事が行われており、重機やダンプカーが浅い砂地の河川で作業しているのは日常的な景色である。
何度かの氾濫を経るたびに、川幅は拡げられ堤防は高く堅牢に造成されてきた。
しかしながら日々上流から運ばれてくる土砂の堆積は、放置しておけば川底をせり上げて流れの妨げとなり、水量が増えた際には堤防に至るまでの増水時間を短縮する因となる。
それゆえに、たいして水量がない砂地だらけの河川で、重機が堆積した砂をすくい取ってダンプの荷台に移す作業は、氾濫を未然に防ぐための不可欠な作業なのだ。
下流域が海への排水不能に陥れば、その上流域では見る見るうちに水位が上昇し、堤防決壊などの被害に見舞われる。そんなことは誰しもが承知していることだが、具体的に誰がどうやって防除するのかまでを平穏な日常に想う人は少ない。
これを事業に置き換えるようになったのはこの数年。
物流機能とは河川の浚渫作業のようなもの。
河口に至る下流域では、日々怠ってはならぬ作業こそが備えの第一となる。
読者諸氏にとっての「のようなもの」はいかなることなのか。
お聞かせいただければ嬉しい限りだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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