被災地の復興をひたすらに祈念しております。
一刻でも早い生活インフラの修復と医療・教育現場の最優先稼働がなされますよう。
令和以前からの傾向として「正月明け初日から普通に稼働」がアタリマエとなりつつある。
ついでに書けば暮れの仕事納めも同様で、会社によっては年内最終日は有給取得者が過半を占めるので、その前日に各部署内で簡易清掃などして年内の通常業務を終える――がよく耳にするハナシである。
ひと昔前は、、、と始めそうになるが、いまさら昔話を書いても面白くないので止めておく。そもそも儀式的慣習が苦手と感じていたので、最近の傾向に抵抗や喪失感はない。
ただ、そういう虚礼的無駄や手間に費やされる「大いなる散財」が維持していた経済効果は思いのほかに大きかったような気がする。
というようなハナシを関与先でした先週だった。
そこで出た他の話題として「数字のミカタ」があった。人によって会社によって「観方」もしくは「視方」、さらには「診方」だったり、場合によっては「看方」だったりする。
とある企業の創業者は損益計算書の販管費項目で人件費と広告費を売上対比で指標化し、利益の変動を確認のうえ評価していた。それらのパラメーターが指し示す月次・四半期・半期・通期に及ぶであろう足許からの時差を織り込んだ各期着地への予測の根拠は聴き取れていないままだが、その人は私の知る限り「おそろしく数字に強い特異な人」のひとりであった。
常人が及ばぬ突出した才がなければ、創業して一代で歴史に残るような偉業をなすことなど叶わないのかもしれないが、不肖ワタクシのような凡人には感心するぐらいしかできない。
では普通の人でもできそうな数字のミカタとはどのようなものなのだろうか。
それは「場数」や「経験」や「実務統計」から導いたモノではないかと思っている。
たとえば物流現場での各種数値への評価――在庫回転率や在庫差異などの一般数値ではない自社固有の管理数値や加点・減点による評価などはその典型だし、ピッキングや梱包などの作業効率なども速度と正確さの整合点をどう設定するかは、自社でしか決められないはずだ。
ワタクシが常々述べるところの「自前物流」の基本となる「自前統計による自前基準」などの測定は基礎項目として全社が用意できていなければならない。
このハナシはさんざん書いたり話したりしてきたので、これ以上はやめておく。
特に「場数」のもたらす効用は捨てがたい魅力や説得力に満ちている。
言うまでもないが、「熟練による属人化は悪」や「経験則への依存や妄信が一般化や合理化の足かせになる」といった向きの弊害議論を踏まえたうえで、あえて挙げている。
ある程度の場数を踏んだ物流屋ならば、業種業態と売上および利益率と客単価など数項目の概数を聴けば、速算で必要な床面積と必要人員数が出せるはずだ。ということは物流コストも「なんとなくこれぐらいの幅に収まるだろうなぁ」と浮かんでいるはずで、その数値は詳細なヒアリングの後各作業項目に単価を設定して算出した数値とたいして誤差はないと思う。
(全部が全部その場で暗算できるわけではないにしても、過半以上で可能かと)
「どうしてそんなことができるのか?」と問われれば、「単なる場数から導いた速算法があるだけです」と返答するほかない。少なくとも私などはその典型である。
営業倉庫ならなおさらにそのような速算術が各社あるはず。
なので、ぶっちゃけてしまえば、最初の荷主訪問時に、長くても30分ほどの間に何項目かの数字を聴き取ったその場で概算見積が言える、、、モチロン言わないのだろうが。
でもホントは言えるんだなぁ、これがまた。。。言わんが。
「お見積もりは精査の上、出精のコスト圧縮を図ったうえで提出いたします」
が世の中のお約束とされているのだ。
そういえば私の常用句に「テカズとアシカズ」があるが、それとて長く現場を視てきたからこその「毎度毎回アタマの中で引っ掛かる数字」となっている。
個数と行数に連動する「手数・脚数」は、棚振りやピッキングの生産性向上や測定評価に重要とされているが、私的にはロケーション設計の時点で最重要と考えている。
今回はざっくりしたハナシにとどめておくが、保管・出荷からではなく入荷時から連動通貫するテカズアシカズの最適解を模索しつつ試行運用することこそが練れた現場の要となる。
上記のカタカナ七文字で検索していただければ、関連するエピソードが見つかるはずだ。
この手のハナシなら数多くある。
評判が良いようなら、手を変え品を変えまた書くつもりだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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