この数年来「年度末は気ぜわしい」という決まり文句があまり聞こえてこなくなった気がするが、読者諸氏はいかがお感じだろうか。
そもそも3月を年度区切りにする事物が減っているような気がするし、各メディアでの記事数も相応にというのが実感である。
特に象徴的なのは企業の決算月や休日規程だ。
分散化と言いかえてもよいが、たいした理由なきステレオタイプ的慣習は排除されつつある。このような傾向は好ましいし、税務署は「比較的空いているおススメ決算月」、観光庁は「平日に休んでお得な旅行に出かけよう」なんていう広報を今以上にもっと積極的にすればよい。
という「多様化」つながりで、今回は現場論にコジツケての一席。
世間では多様化や多様性という言葉が頻出ワードランキングで上位にへばりついたままらしいが、以下のコラムがワタクシの意見の概略だ。
寄稿ゆえ裃(かみしも)外した記述ではないが、主張の本質はある程度書けていると思う。
もう少しぶっちゃけて言い換えれば、自らが正しいと信じる「好ましい外見」や「健やかな性的志向」にとらわれたりこだわったりしているのは、
「現場品質の追求が甘いかよほど余裕がある」
「要らんことばかりが先立つスットコドッコイ管理者が居座っている」
「社員やパート従業員への教育と庫内意思の統一が不十分で、異相異形への偏見や思い込みは庫内悪だという徹底ができていない」
という低い評価しか得られない。
正確で迅速な作業品質を維持してくれるなら、どこのどなた様でも大歓迎。性別年齢、性的指向や性自認なども庫内作業水準の維持の妨げにならぬ限りは不問。
というワタクシに近い感覚を持った管理者は多い。
そしてこのハナシには続きというか、違う角度からの考察も必添かと思う。
それは庫内における「装い」「立居振舞」についての自社基準をいかに規定し運用するかという命題への取組についてだ。
ドレスコードなどの業務規程については、一定の制限や順守義務を設けることが労使間で合意もしくは暗黙の了解となって、大きな不平反発なく存在している企業は多い。
物流現場はその制限と独自性のせめぎあいがあからさまに表れる場所であり、過去にもさまざまな行き違いや衝突が起こってきた。
わかりやすいのは「髭」「口や鼻のピアス」「入れ墨」「奇抜な髪色や髪型」「違和感ある服装」「過度な香料」「就業中のガム」「裸足にサンダル履き」などだ。
書き出せばもっとあるが、「さすがにそれを制限したり不可とするのにはちょっと無理がある」と感じて止まぬものは割愛した。
「奇抜」や「過度」を判じる定規についても企業が独自に設けるものであり、あるのかないのかよくわからない社会通念や国際標準と乖離しているか否かまでは考察しない。
企業ルール自体の是非については、水掛け論を楽しんだり目的とする場所に譲る。
企業が設ける自社コードについての評価は「人間を苦しめたり傷つける仕組」となっているか否かに尽きると思っている。そのような仕組は早晩必ず滅びるので、外力で矯正するまでもないだろう。少なくとも歴史はそう語っている。
裏を返すつもりはないが、補足として追記しておく。
上段にある括弧書きした物流現場における制限内容については、必ずしも「多様性の不許容」「多様化の拒絶」とは言い切れぬかもしれない、と思っている。
こういうときに私の思考起点はいつも「お客様」である。その物流現場の属性がいかにあろうと、物流の最終目的地は消費者であるという事実はゆるぎないはずだ。
消費者はエライ。有無を言わせずエライのだ。
なぜなら消費者とは商流と金流と物流の全コストを負担する者だからに他ならない。
だから消費者の視点で価値評価して是非を判じることには理がある。
もし貴方に子供が生まれ、わが子が口入れる離乳食をECで購買したとする。
その品物が保管されている倉庫内で、作業者が無精髭で覆われた口でくちゃくちゃガムを噛みながらタトゥーだらけの手で、裸足にサンダル履きでぺたぺた音を立てながらピッキングし、梱包ラインでは全身の半分以上肌が露出しているピタピタの薄着で、長い付け爪で強いコロンのにおいを漂わせながら作業していたとしたら。
「作業の短い時間では香料の匂いは商品に移らないし、服装やガムを噛むことはパッケージにも中身にも一切の影響はない。そもそも自分が買った品物が出荷される倉庫の作業風景などを思い浮かべて購買する客などいない」という理屈のもとに、これも多様性と看過されているとしたら、いかがお感じになるだろうか。
あくまで私見だが、たとえば異性装やトランスジェンダーや服装・化粧・装飾品にこだわりの強いミュージシャンや異文化圏から来訪した外国籍の従業員がいたとしても、物流現場では上記のような身だしなみは原則として認められないと考えている。
嗜好や宗教上の理由などで皮膚に装飾を施すのは自由だが、従事する職場の業務規定に抵触するか、実務上支障が生じるなら衣服やサポーター類で覆い隠すようにすべきだ。
その他体裁についても取扱品によっては一定の制限を強いられるのは当然。香料や衣服や装飾品についても、多くが過剰と感じるものは控える、はあたりまえだ。
多様性とは機能集団としてのルールや協調に先んじる自由のことではないし、他者との差異を第一義に置く価値観でもない。それは一定の制限や自己抑制や協調のあとに残された個人の領域で表現されるものであって、その範からは一歩たりともはみ出せぬ。
言うまでもなく個人の領域に他者が立ち入って妨害や拒絶や批判も許されぬ。
ある現場管理者から聞いたハナシがある。
彼の現場でひとりの若者がアルバイト作業員の面接を受け、採用された。
面接は部下である副所長が担当した。
採用された若者は、肩まである金髪、口許と小鼻に銀色のピアス、肩口と胸元にいくつかのタトゥーがある。ただし出勤時にはピアスは外し、金のロン毛は結わえて帽子をかぶり、袖口や胸元から覗くタトゥーには水仕事用の包帯を巻いたり、絆創膏を貼るようにしていた。ちなみに面接時には具体的な身だしなみに係る条件は出してはいない。
それどころか、面接した副所長はバイト君の外見や学歴や職歴にはほとんど触れず、彼の現在の日常や将来の夢や性格の自己分析などを長い時間かけて聴き取った。
その場で採用決定を言い渡す際に、アルバイト君の希望する変則的な曜日別の勤務時間を認める交換条件として提示したのは、バイトする理由となっている音楽活動のライブ映像か録音を持参して、休憩時間に食堂で流すように、ということだった。
唯一絶対厳守として告知したのは、
「いつだれが現場をみても、違和感や不快感を抱くことがないようにふるまう」
という一文だけだった。
それは管理者氏の庫内是であり、礼節の徹底は従業員の区別なく貫かれていた。
アルバイト君はその庫内是を理解し、自分なりのいでたちで初日に出勤した。
〝制約だらけの条件の中に小さな欠片のような自己主張や裁量の場所を見つけたとき。私はそこに無限の自由と喜びを感じる〟
という言葉を若かりし頃に知った。それは自身の仕事観を築く土台となった。
今も昔も、上等な管理者がいる物流現場では、多様性云々の議論など無用だと思っている。
業務品質や業務容量の追求に専心すれば、求められる要件以外の事象は些末事でしかない。
庫内ルールやコードに準じて就業する限りは、どこのどなた様であろうとかまわない。
合理的で簡潔な強い現場とはそういうものだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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