しかしなんとも嫌な感じである、、、新コロ感染者数の急増、つまり第7波の到来とかで騒がしいのだ。
かといって、陽性者のほとんどが無症状か軽微な自覚症状のまま日常生活を過ごしているようなので、発表する数字の対象を変えたほうが良いのではないかと思う。
この感想は流疫の当初から抱いていた疑問でもあり、医療関係者の間でも賛否あった。
一般病院で診断と処置ができるようにすれば、疫災状態の社会混乱は収まるだろうに――とずいぶん前から強く思ってきたが、昨日やっと専門家委員会でその方向性が示された。
名実ともに「With コロナ」の状況が常態化するのだと思う。
という重いマクラはこれぐらいにして、最近よく感じる「物流現場で見かけなくなったモノ」のハナシをしてみたい。「希望」とか「やる気」とか「人情」などと書く気はないのでご安心のほどを。ちなみに「若者」も同左である。
毎度のことだが、たいしたことは書けないし、どーでもよいことかもしれない。が、アテズッポウな見立てがたまたまながら的を得ることもあるので、懲りることなく記してみたい。
私が知る限りにおいてだが、現場から年々減りゆくと感じるのは時計とカレンダーだ。
それからもうひとつは配線だ。
いずれも減った理由をわざわざ書くまでもないと思う。
「無線化」は多くの改変や利便を現場にもたらしたが、心のどこかに古い倉庫建屋の光景を懐古する気持が湧くのは私だけなのだろうか。
現在のような巨大で先進的な設備を有する倉庫など極めて稀――特に内陸部では――だった時代、中小建屋の現場内事務テーブルの周りやPC・プリンター置き場は、床を這うコード類と壁面やスチール棚に吊り下げられた予定表やホワイトボードやカレンダーが馴染みある景色のようだった。ごちゃごちゃと雑多な様相の区画もあれば、コードは束ねられたり床を這うモール内に収められて引っかけたり躓くことがないように始末よく管理され、壁面の掲示物は縦横きちんと整えられていたりもした。
現場区画ごとの管理者の個性が如実に表れるし、それをどのようにまとめているのかという視点でなら、責任者の運営作法の一面がうかがえて興味深いのだった。
几帳面で整理整頓が行き届いているからといって業務品質がよいとは限らず、逆もまた然り。
もちろん大部分の事例は「良い現場=作業手順が良い=5Sに抜かりない」という等式が成り立つのだが、美装や整理は必要条件でしかなく十分条件とはならない――ことなど一定の現場経験がある物流人なら心得ていることだ。
そんなことを書いているうちに「現場台帳」という言葉が浮かんできた。
消えつつあるものではなく、今や絶滅したと言ってもよいだろう。
システムツールもPCもない時代には、多くの現場で各種台帳が作成されて、日々の業務を支えていた。台帳の出来はその現場の程度を示し、すなわち台帳作成者の技能を如実に反映する鏡のようでもあった。現場によっては歴代責任者が相伝する門外不出の虎の巻として重宝され、現場台帳の追記・削除などは当代の責任者にとっての大仕事だった。
荷種・荷姿・荷捌き・荷動きなどの変化に応じた台帳の改訂は、その現場の歴史でもあり、物流業務の変遷は荷主企業の事業履歴と重なる資料としても重要物であった。
総現場台帳と区画別台帳などの使い分けもあり、今風に言えば商流別や出荷形態別、国内・海外別のような作業手順書の機能も有していた。システム慣れしている現在の物流人たちが実物を眼にする機会があれば、間違いなく驚嘆と感動と畏怖の念を同時に抱くだろう。
入荷・保管・出荷にまつわるすべての規定が過不足なく網羅されているだけでなく、図面や図解がふんだんに盛り込まれている。
引当ルールや返品受から再計上に至る厳密で緻密な手順と作業詳細、添付書類のひな形なども丁寧に例示されており、「第〇〇版の〇〇」というような改訂番号が付されている。
大げさかもしれないが、優れた台帳は業務ツールでありながらアートとしても一見の価値があると思える。
定規とコンパスとペンで表現される現場台帳という精密な規定書は、機能美に満ちた線画のようでもあるし、それを背景にして現場人が粛々と働く姿は誰かが語り継ぐべきだと思う。
時代と共に現場風景は移ろう。
消えゆくのは時計やカレンダーに限ったハナシではないだろう。
懐古が過ぎるのはよろしくないと承知しているが、温故は必要だとも言い添えておきたい。
オールアナログの凄みをうかがい知れば、最先端のシステムやロボット開発の現場に異質で新鮮な刺激が加わるような気がしてならない。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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