最近たまにあるのは、調べ物をしていて自分の書いた記事に行き着いたあげくそのまま読んでしまい、時間を食って本来目的の進捗が滞るという間抜けな顛末だ。
実はこれを書き始める直前に過去記事に出くわし、またもやついつい読んでしまった。
それは2019年5月10日掲載のよもやま話で、手前味噌ながら再読に耐える中身なのではないかと思えるので、紹介がてら関連するハナシを書いてみたい。
上記の掲載記事の中で書いているとおり、3年前当時の近未来予想なのだが、及第点をつけてよさそうな中味となっている。(当時はコロナ禍前なので、「オリンピック後」は2021年あたりを想定しているらしいが、書いた時の記憶があやふやではっきりしない)
以下一部抜粋してみる。
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来年の東京オリンピックの後、日本はどんな歩みをするのだろうか。
より進行する人口減少。
消費は現状維持かゆるやかに下降。
景気消沈なのに労働力不足。
労働力不足なのに平均賃金は下降の一途。
平均賃金は下がり続けるのに、最低賃金は上がり続ける。
労務行政の制度改正と実施管理強化によって可処分時間は増えたが、可処分所得は減ったので消費財購入やコストのかかる行楽は下火に。
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当然ながらコロナ禍という疫災の影響など加味されていない。最終行の消費財購入はステイホームの常態化で焼け太り的好況となり、行楽の下火は所得事情よりも移動制限が強烈に作用しての因果となっている。
たまーに見聞きする「コロナ以前の状態に速やかに回復するには」で始まるハナシにしても、コロナ禍以前はまるで好況・堅調な経済状況だったかのような言い回しを濫用しているように思えてしかたない。ちょっと思い返せばたいして良くもなく明るい材料に恵まれていたわけでもなく、五輪特需という麻薬的飛び道具にすがるように作り笑顔で上滑りな言葉を発していただけの面々があちこちにいただけだ。
その類の面々に興味はないが、今はきっとロシア・ウクライナ問題の後の世界を極論まじりに吐いているのかもしれない。
コロナ同様に戦争という災いはマイナスしかもたらさない。従って、終焉の次に巡ってくるのは原状回復への動きとなるはずだが、目指すべき原状はたいして魅力的でも希望的でもない毎日だったはずだ。病や怪我に見舞われた際に、無病息災な平常をありがたく感じて止まない精神状態と似たような感情が蔓延しているのだろう。そして病から回復した後のお決まりに同じく、疫病や戦争時に感じて誓った「何も起こらないこと」や「平凡の偉大さ」への真摯で謙虚な感謝など色褪せたり埋もれてゆくように意識の表層からは消えてしまう。
戦争の前は新型のウイルスで大騒ぎしていたし、今も疫災収束の目途は不明のままだ。この状態で戦争が終結すれば、コロナ禍で閉塞停滞していた当時に戻るだけだし、コロナ禍の後には2019年12月1日に中国の武漢で原因不明の肺炎を発症した日以前の世界に戻るのだろう。
たいして魅力ある世の中だった覚えはないが、疫病と戦争を経た後なら、あの状態でもありがたいというのが素直な実感だ。おそらくきっと「喉元過ぎれば」の転結となるにしても。
問題は、来た道を戻るような反復がはたして叶うのか、というところだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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