次に買い替える車はEVかFCVになるだろう、と自分に言い聞かせるようにしていたのだが、やはり水素燃料の可能性を捨てきれない。
つまり、モーターではなくエンジンの載った車を運転したいのだ。
合理的な理由などなく、単なる好みのモンダイである。
内燃機関のない動力への潜在的否定意識でしかないのだろうが、それは紙媒体や印刷物のデジタル化一辺倒を謳う風潮への違和感と根を同じくするものではないかと感じている。
師走のひと時に、とりとめなく思うままにエネルギーのハナシを書いてみたいと思うが、普段に増しての乱文のほどはどうかご容赦を。
CO2排出規制の生まれた場所をたどれば、すぐに地球温暖化の抑止へと行き当たるだろう。
地球規模での規制が必要なことは既存の議論から理解している。が、はたして人類の営みが排出するCO2量とは、地球上で生まれるCO2総量のどれぐらいの比率を占めるのだろうか。
IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)第5次評価報告書によれば、人類の活動によって排出される二酸化炭素量は、地球全体の中で4.3%にあたる326.3億t/年となっている。
ちなみに二酸化炭素は海洋、人間活動、および土壌・森林から大気中に排出される一方で、海洋と土壌・森林は吸収もする。その結果、排出と吸収の収支は161.6億t /年が余剰となり、これだけの二酸化炭素が大気中に毎年残留していくことになる。しかしながら総排出の95%強を占める海洋や大地の制御は不可能に近いので、人類排出分の326億tを半減させれば、うまい具合に相殺できる、というのが近年の国際世論の前提条件、、、のように理解しているが、事実認識の錯誤や理屈に誤りがあればご指摘願いたい。
それが回り回ってあらゆる分野での二酸化炭素ガス排出削減につながっているわけだが、併せての化石燃料枯渇を踏まえての代替燃料選択が再生可能エネルギーの使用促進を加速させた。
結果として自動車や航空機などの燃料、工場や住宅の熱源のクリーンエネルギー化が一気に拡がりを見せ、国際協調による国策としての認知と推進の今現在なのだ。
という長い前置きの後に、やっと自動車燃料の脱化石燃料のための代替策となり、EVやFCVなどのモーターで動く車の主流化へとハナシは展開する。
今までトヨタ自動車だけが、EVやFCVへの一斉傾倒に警鐘を鳴らす発言を続けているのだが、私見ながらそれは単に自動車産業だけの問題にとどまらないと思っている。トヨタ自動車の豊田社長の発言にあるとおり、産業構造全体の変革を迫られる事態として社会が認識すると同時に覚悟をもって挑まねばならない。
脱化石燃料に伴う利点以上に、雇用の大量喪失をはじめとする未経験の痛みや淘汰の大波が寄せるのだ、という可能性を踏まえた議論になっていないという言い方でもよいだろう。
今後10年弱で自動車や各種機器が電動化すれば、日本国では圧倒的に電力が足らなくなる。
とある試算によれば、現在停止中の原子力発電装置を8~10か所再稼働しても、まだ需給に見合うと断言できないのだとか。今のエネルギー生産技術水準では、目標に掲げられている制限時間内での脱炭素は、原発推進とのトレードオフとなることは必至である。原発稼働に必要な安全対策とメンテナンスコストを余すことなく勘案すれば、既存のエネルギーコストよりも割高な電気に依存する結果となるのは因果として当然となる。
企業も個人も正しく理解の上、可処分所得を削る覚悟をもって電動化に向かわなければならないことは自明なはずだが、伴う痛みについての言及があまりにも少ないと感じて止まぬ。
個人的には原子力発電は不可欠だと考えている。もちろん福島の悲劇を忘れたわけではない。
そのリスクも人並み以上に認識しているつもりだ。
本年9月に岩手・宮城・福島の沿岸部を訪れることができた。自動車から下車しての歩行は禁止されたままである封鎖された福島第一原発の入口とその近辺の現状を目の当たりにした。
事故はまだ収束にほど遠く、汚れてしまった土と森が清浄さを取り戻すには、次の世紀を待たねばならないかもしれぬ。
天災と人災の双方が相まっての惨状だと聞くが、深い悲しみとやるせなさに心が沈み込んで、言葉をなくした現地での刹那だった。
火力を母としない「電気」を、化石燃料の代替として第一とするなら、その生産性と安定性に原子力以上の手段を挙げることはできないのではないだろうか。
CO2排出量の削減という大命題を掲げ、かつ長くない猶予を違えぬという前提条件を付すのなら、原子力発電の最高評点はリスクとコストを受容したうえでも揺るがないと思う。
エネルギーの生産コストが上がれば、世界中の経済活動の根本が揺らぐのは当然で、最終的には全コストの負担者は消費者たる個人となる。原材料の調達から最終製品の販売やそれを支える物流の末端までのあらゆるコストの負担者は消費者以外に存在しない。
電動化すればCO2の排出が抑制されて、地球にやさしい暮らし方ができる。
ただし、それを維持するためのコストをねん出するには、世界中の人々の覚悟や我慢が不可欠でもあるということを今一度認識しておかねばならないはずだ。
「こんなはずではなかった」という後悔の言葉を口にする日が来ぬようにしたいと個人的には思っている。
で、ワタクシとしては電気一辺倒ではなく、トヨタがけん引し、何社かが連なる「水素動力」への途をより拡げて堅調に進んで欲しいと思っている。
大多数のビークルの動力には水素もしくは水素由来の電気を使用することで、原子力及び既存の再生可能エネルギーへの依存を減じることができるはずだ。
そうなると、現在ネコから杓子まで唱えるEV念仏に即した、自家用車のモーター傾倒に歯止めがかかる。しかも水素そのものを内燃させる技術が実用化できるなら、エンジンの存続は疑いようがない。ガソリンスタンドは充電ブースと水素充てんブースが併設された新エネルギースタンドに改装されて、既存のネットワークをもとに再配置されるだろう。
原子力依存型の電気動力であっても、水素動力であっても、コスト負担増は許容しなかればならないのだとしたら、私は電気と水素の共存を支持したい。
もはやこれ以上あれこれと理由を並べる気はない。
まもなく自動・半自動運転による安全性能の向上で高齢者の自動車運転継続が叶うのだとしたら、せめてエンジンで走る車に乗っていたい、とただただ願うだけなのだ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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