今回は物流云々は一切出てこない。したがって、私のとぼけた話にご興味ない方はスルーをおすすめする。本当にくだらんのでご用心のほどを。
誰にでも長年の思い込みはあると思う。
おそらく私はその数が激しく多いグループに属しているのだと自覚しているが、先日またもや新たな思い込み勘違いが発覚した。
今回の件は「それはちょっとあまりにもなぁ」というほどひどくはないものの、久々の「あぁ、ずーっと勘違いしていた」であることは確かだ。
ちなみに、掲題の出来事を説明する前に、今までの人生における歴代の恥ずかしいやら情けないやらの上位を幾つか披露すると、
1.巨人の星の歌詞(有名な‘重いコンダラ’のくだりではない)
なんといってもこれこそ私の代表作ともいえる思い込み勘違いだ。
あまりにも有名な♪おっもっいぃ~こんだぁらぁ♪の部分は全く引っ掛からずに口ずさんでいた。が、そのあとに続く歌詞の後半部が私的「ヤンタンの重いコンダラのコーナー」である。
おそらくは谷村新司氏も喜んでくださると自負しているほどの天然ぶりなのだ。
【正】
真赤にもえる 王者のしるし 巨人の星を つかむまで 血の汗流せ 涙をふくな ゆけゆけ飛雄馬 どんとゆけ
【私】
真赤にもえる 王者のしるし 巨人の星を つかむまで ひと汗流せ 涙をふくな ゆけゆけ飛雄馬 どんとゆけ
子供心に「鬼のように厳しいけど、練習したあとは結構優しい一徹さん」と内心でほっとしていた。ただ、突然風呂に入ってひと汗流す描写が脳裏に浮かぶ奇妙さには不思議さや違和感を抱いてはいたが、そこに引っかかって歌詞を確認するには至らずじまいだった。自分の勘違いが発覚するのは40歳を過ぎた頃だった。
2.ピクニックの歌詞
これも大学生になるまでずっと思い込んでいたし、口遊むこと数知れずほどだったが、誰も誤りを指摘してくれなかった。
【正】
丘を越え行こうよ 口笛ふきつつ 空は澄み青空 牧場をさして
歌おうほがらに ともに手を取りラララ ララ ララ ララ
ララララ あひるさん ガァガァガァ
【私】
丘を越え行こうよ 口笛ふきつつ 空は澄み青空 牧場をさして
歌おうほがらに ともに手を取りラララ ララ ララ ララ
ララララ アフリカゾウ パオォーン
「これでもいいではないか」と今もなお内心では強く念じているが、世間的に認められる気配はない。フランスの童謡にアフリカゾウはおかしい、という正論に対しては黙すのみだが、語呂や調子としてはアヒルさんよりも好適なのでは?と感じるのは私だけではないはず。
おそらく少年期に愛読していた週間少年チャンピオンに連載の「がきデカ」に登場したパロディをそのまま真に受けてしまったのだろう、と推察している。あいにくがきデカのコミックスが手許にないので確認できないことがもどかしい限りだが、どうもその可能性が高い。
3.北酒場の歌詞
誰もが知る昭和の大ヒット曲。
学生服姿で「欽どこ」に登場する細川たかし氏の生真面目なオトボケが印象的で、番組内でのギャク化したプロモーションが奏功して流行歌となったと記憶している。
【正】
北の酒場通りには 長い髪の女が似合う
【私】
北の酒場鳥には 長い髪の女が似合う
これも40過ぎまでずーっと「酒場鳥=酒場で言葉少なく粋な風情で呑んでいる二枚目。ひとつどころに留まらない風来坊のような人の意」と勝手に解釈して思い込んでいた。
口遊んでみても全然違和感ないはずだ。「さかばどおり≒さかばどり」なので、ちょっとした声の加減で酷似して聴こえる。
勘違いが発覚した当初は恥じていたが、そのうち「酒場鳥のほうが洒落ていて、曲調に合っているのではないか。長い髪の訳アリ風の美女が横に寄り添うのも画になるし」などと開き直って憤慨したりする始末。
作詞は、故 なかにし礼氏。
在京時代には行きつけの呑み屋でよく隣席となったが、とにもかくにもかっこよい。
何もかも敵うはずなく、「なかにし先生の歌詞にケチつけるなんて」という圧倒的多数の声が推して知れるので、今は自説と主張を伏せて黙している次第だ。
のように書き出せばまだまだ続くのだが、先日またもや新たな思い込み勘違いが発覚した。
というより、知識として脳内引出しには入っていたが、普段は使ったり確認することがなかった状態で、それは「知らない・わかっていない」と同じことなのだ。
対象も娯楽分野でのオッチョコチョイすっとこどっこい思い込みではなく、もう少しビジネス寄りのそれだった。
今までデパートやショッピングモールなどの売り場を眺めては、見た目のまま「平場とブース」に識別していた。ブースの多くはその区画を占有使用するテナントであり、平場とはオープンスペースにハンガーラックやワゴン等を並べて、各メーカーやブランドなどが混在した状態でセールや企画展などを催す、もしくは常設している場所、、、と信じて疑わなかったのだが、それは間違いであると初めて知ったのだった。
デパートのハナシがわかりいいが、展示販売形態の別によらず、共通レジを通すのであれば、それはすべて「平場」という扱いとなり、すなわち消化仕入対象となる。
とある人物がブランドが占有するインショップで買い物をしたとする。
その購入者の意識としてはブランド≧デパートであることが多いと思うのだが、商取引の力関係としての実態はブランド<デパートなのだ。もちろんそのデパートが住居地や勤務先の最寄りや交通機関のターミナルに所在し、かつポイントなどの優遇措置を求める複合的な理由があることは承知している。しかしながら購入者の意識としてはデパートではなくブランドで買い物、となっているはずだ。
もっとも支払い後に受け取るレシートをみれば、自分がどこで買い物したのかは明白で、レシートのヘッダーやフッターにはデパート名の記載が大きく刷られている。
つまりデパートの売り場は概ねが「ヒラバ」であり、テナントの独立した売場は極めて稀であるらしい。ここでいう「独立」とは純然たるテナントとして入居し、自社のレジを持ち込んで運営しているという状態を指している。
反面よくよく考えてみたら、デパートの売上=出店ブランドの売上が含まれている、というのは当たり前のことなので、それは全部ヒラバ売上となる。
私の勘違いのスタートは、展示販売スタイルの見た目に起因しており、平場=占有ブース以外の売場全般、という思い込みによるものだった。
流通業にかかわりのある方々なら当然の区分だろうし、ビジネス知識として理解している読者諸氏も多いに違いない。
かように私の救いようがないほどの勘違いや思い込みは、コミカルで失笑モノの些末事にはじまり、いい齢をして恥ずかしい常識や知識の欠落にまで及ぶ。
そんな恥ずかしい実態の発覚がまたもやあったのです。
というお粗末なハナシでござんした。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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