物流よもやま話 Blog

うまいフォークとうまいヤキメシ

カテゴリ: 本質

ヤードやバース前、庫内通路を往来するリーチやカウンターを操作している女性スタッフの姿が目立つ――今やそんな光景は珍しくなくなった。
その顔ぶれも、昨年まで高校生だった10代から来年には前期高齢者になると聞かされてもにわかに信じがたいほど若々しい60代まで、経歴や年齢も多彩だ。

大型免許やバス・タクシーなどの特殊免許を取得する女性が増えている昨今、短期間の講習で免許取得できるフォークリフト運転技能者が増えてもまったく不思議ない。
そしてあくまで私見だが、女性の方が運転や操作のいちいちに堅実であるような気がする。
もちろん全部が全部ではないし、男性の相当数は基本に忠実で安全・質実を心がけて業務に勤しんでいることも承知している。言い方を変えれば「無理や強引な操作が少ないような気がするし、地味で目立たない業務風景に感じる」でもよい。

フォークの操作はあくまで一例に過ぎない。現場だけでなく、マネジメントでも同様だ。
業界を問わず職制のユニセックス化はひたすら進むばかり。もはや性別どうのこうのなどという古い念仏もどきの死語を唱えている場合ではない。
時代はすでに「人間かロボットか」にさしかかっているのだ。
性差別や偏見をぬぐえない輩は問答無用で即刻退場してもらわねばならないし、そんな連中とかかわっている暇など我々にはないはずだ。
なぜなら、物流現場における人間の存在価値を問われる局面が急増する―――というハナシは長くなりそうなので、別稿として改めて書こうと思っている。

この業界に入った当初、繁忙現場でのめまぐるしいリフト往来や神業とも思える操作技術に驚くことが何度もあった。
素晴らしいスピードと転回や前後進の繰り返しによって、おびただしい数のパレットを速やかに移動し、次々と荷を捌いてゆくオペレーターの腕前に感心したものだった。
特に若いリフトマンは出荷場前のヤードで曲芸さながらの緩急織り交ぜた動きとともに、荷が積まれたパレットを動かしながら、大量の出荷物を捌いていた。
「すごいなぁ。よくもまぁあんなスピードで動けるものだ。なんだかフォークリフトのスラローム競技みたいだ」などと独り言が漏れてしまう。もちろん驚きとともに卓越した技術に感じ入っての敬意を交えた言葉としてだ。

それからしばらく経ったある日、新規案件の打ち合わせのため現場を訪れたときに、以前から「抜群にうまいなぁ」と感心してやまなかった若いリフトマンが解雇されたことを知った。
現場の所長にその顛末を教えてもらった時、自分の誤った認識を思い知ることになった。
所長の説明は以下のとおりだった。

〇月〇日にリーチを横転させて、荷物は破損、リフトは修理と動作の総点検、本人も腕と肩に打撲とすり傷。業務中の自損事故なら、解雇ではなく厳重注意で、始末書提出が通常処分となるのだが、今回はそうではなかった。
乱暴なリフト走行や不要な急発進・急転回、過剰な作業速度などに対して、二度目の警告時には別作業への配属転換を勧めたが、それなら辞めると拒否。作業能力が高いため、そこでの解雇に踏み切れず、再発防止を誓約させたが、ついには転倒事故。荷の取扱い、他の作業者の安全、本人の安全のためにもやむなく解雇となった。

ちなみに所長も始末書を提出し、会社から厳重注意を受ける処罰となった。
「事故の発生は、人員配置の判断を優柔不断に先送りしたことが主因」との内容だった。
至極真っ当な処分であるし、今この文章を読んでいる諸氏は「気配の最初に手を打つべきだった」とお感じになる方も少なくないだろう。
事実、書いている本人でさえ「今の自分なら少しでも気になったり、ヒヤリハットなどの危険を感じた最初に指導するだろうし、それで改めなければ即配置換えした。放置すれば事故発生は目に見えているからだ」と思っている。

しかし、往々にして正解は後付けされることが多い。悪気なく無意識に、だ。
他人事には自らに降りかかる責任や実害が発生しないので、最短時間で正解に至る最短距離のルート選択ができる。
しかし当事者になった場合、本筋以外のしがらみや情状酌量の余地を、枝葉末節と切り捨ててよいものなのか?という迷いは付いてまとう。
仮にそんな迷いが生んだ事態の悪化や、挽回のチャンスとして与えた機会が結果的には仇になったとしても、それは完全に拭い去ることが難しい残存リスクなのかもしれない。迷う主体とその原因となる対象も人間であるから、が理由であることは読者諸氏もご承知のとおりだ。
だからこその、複眼的判断、、、責任者は複数意見を聴取したうえで判断すべき、、、が必要となるのだろう。

その後長い年月を経ての今に至るわけだが、最近では現場を少し眺めていれば、作業者の腕前についてはある程度判別できるようになったと思う。
「はやい」「すぐ」「次々と切れ目なく」「パッパッと」「目にも止まらぬ」
などの、外見やイメージには惑わされなくなったつもりだ。
表面的な現象や感覚を一度静止させてみることは簡単ではないが、それなりに授業料を払ってきたり、生傷で痛い思いを何度となく経験すれば、勝手に反応できるようになるものだ。

似たようなことを再認させる教訓話は多い。
たとえばエスカレーター。
ご存じのとおり、関西と関東ではエスカレーターの「静止」「歩行」が左右逆だが、その起源は、、、は各自お調べいただければよい―――ということ以前に、最も効率よいエスカレーター利用時のルールとは?という実験による興味深いデータがある。
それは、
「二列に並んで動かないまま、昇降すること」
なのだ。
つまり関東も関西もエスカレータのマナーは全体最適の観点からすれば「まちがい」なのだ。
右も左も止まったまま、次の階に到着するのを待つことが、エスカレーターの最大効率を維持できる条件というわけである。

そして似たようなハナシをもうひとつ思いだした。
それは、今や全国ネットとなった「餃子の王将」(株式会社王将フードサービス)の先代社長、大東隆行氏(心底惜しいが、今や故人)の言葉だ。
一言一句まで正確ではないが、発言の趣旨は合っている、とあらかじめお断りしておく。

「焼き飯作るのに鍋を振り回す人がいるけど、あれはあんまり意味がない。〝焼き〟メシなんやから、火に置いた鍋肌に米を付けんと、焼けんよなぁ。焦げんようにひっくりかえすためといいながら、たいそうに鍋をひっきりなしに引いて米を鍋肌から離すのは無駄でしかないよ」

まさに至言ではないだろうか。
パフォーマンスとしては「パラパラで美味になるように」という画面(えづら)になるし、発生する金属音も「炒めもの」という雰囲気づくりに一役かってはいる。
しかし、美味い焼き飯をハヤク・ヤスク出すためには、必要最低限の動作で完成品を作り出すことが最善である。というのが玄人ならでは矜持であると感じられる。

同じ味で同じ値段なら、なるべくはやく出す。
これは物流現場にもあてはまることだ。
巧いフォークリフト操作とは、最短距離を見極めて、交差や業務混雑場所では一時停止と徐行による安全確保、そして無駄のない操作。
現に私の知るプロのリフトマン(ウーマン)たちは、きわめて地味な作業風景の中にしかいない。そして、しばらく観察すれば「まったく躊躇ややり直しがない」ことが判明してくる。移動動線の選択やパレットやサポートにフォークを挿してすくう際に、すべて一発で決まるし、音もならない。むしろゆっくりにすら見える。
しかし、時間単位での生産性は常に最上位にある。いうまでもなく、無事故でノーミスだ。
鍋を振らないで作る焼き飯と同じ仕事だと思うのは私だけではないだろう。

過剰な演出まがいのリフト操作は、焼き飯作りに必要ない大げさな鍋振りと同じ。
世の中には身につまされたり刮目させてくれることが数多い。
世間の風は冷たいばかりではないと実感する最近の私なのだ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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