倉庫業務の中で、検品ほど会社によって向き合い方の異なる業務はない。
まず「請ける・請けない」「やる・やらない」から選択肢が始まる。
次に「どこまで請けるのか」「どこまでやるのか」と続く。
更に「どこまで約束するのか」「どこまで責任をもつのか」、あたりで事業会社の自社倉庫や営業倉庫会社なりの体質や能力、実際の作業領域がなんとなく視えてくるというのが常だ。
業界人なら既知の事実だが、上記の現状を生んでいる理由の第一は検品業務の難しさにある。
作業技術の巧拙以前の問題として、検品基準、特に品質検品においての主観と客観の明確な線引き―――ある人の「キレイ」は別人の「フツウ」であり、人によっては「キタナイ」にもなりえるといった個人差―――が困難極まりない、という第一関門を抜けられない。
たとえば物流業務を外部委託している事業会社の多くは「検品依頼書に添付する検品基準と作業手順書の作成」なんていうことはやったことすらないか、不完全で不十分な内容のものしか作成できないだろうし、数多い営業倉庫にしても気の利いた検品手順書を作成できる会社は極めて少ない。私個人の経験だけでいえば、30の事業会社もしくは10の営業倉庫でそれぞれに1社あればいいほうだと思う。ふた昔ほど前なら、素晴らしい検品サービスを提供するアパレルや雑貨特化型の物流会社は何社もあった。しかし、イトヘン関連と服飾雑貨の慢性的な低価格化や海外工場の生産品質向上によって、プロの検品屋や検品職人などの需要は激減している。
ここからは個人的な経験と聞いたハナシのごちゃまぜ定食をお楽しみいただきたい。
「実話の一部を大幅にデフォルメしたフィクション」としてお読みいただければ幸いだ。
《勝負師風の詐欺師》
「もう今はそんなやつおらんやろぉ~」とこだま師匠のようにガラガラ声で言いたくなるが、ひと昔前には検品屋や倉庫屋の検品請負では「勝負」する輩がチョイチョイいた。
相場の世界では「呑屋」というイケナイ行為があるが、検品の世界でも同質の請負行為は少なからずあった。
つまり請けるだけ請けておいて、実際には「まったく検品しない」のだ。
検品物が入庫してきたら、開梱して別資材に詰め替えるか、いったん取り出して、やや詰め方を変えて再梱包。もしくはパレットやカゴ車への積み付けを多少変えるかするだけで、納品までの間は人目のつかない場所で保管しておく。
万一不良品が出てしまえば、「申し訳ありません。単純な見落としです。再発防止策を再考して、次回からは細心の注意で臨みます」と平身低頭ひたすら謝る。
そもそもまったく検品していないので、生産品質が悪ければ出てしかりなのだが、依頼者側もまさか全数検品していないなどとは想像すらしないし、売り先からクレームでもない限りは、業者提出の検品報告書にあった検品結果で完了しているものと信じて疑わない。
いうまでもなく、全量検品しかも品質不良チェックの重検品を丸投げする依頼元の程度は推して知れる。せめて一定数の自社抜き取り検品による事前調査ぐらいはするべきだ。
「すべて検品済み」という但し書を添付して納品したいだけで、中身に対する品質へのこだわりも責任感も希薄なのだろう。最大で唯一の関心事は「いかに売るか」であって「売り物へのこだわり」は二の次としか思えない。経営の関心事はひとえに「粗利率と手離れ」で、それを耳に障りない麗句にすり替えているだけだ。
つまり依頼者側も勝負師のような受託側も同類に近く、まさに破鍋に綴蓋のようなお似合いの組み合わせとなっていることが多い。
悪質な場合は不良品を幾つか作成して、依頼主に返却するという自作自演をモットーとしている業者もいるぐらいだった。一番多いのは中身によって手口を変えては、その時々で全数手付かず/抜き取りで判断/重検品価格ながら目検のみ、などの変幻自在対応でごまかし続ける手合いだろう。
「出たら出たでしょうがない。土下座する勢いで謝ればなんとかなるし、補償云々が始まったら、相手の検品基準書の不備をついて、どっちもどっちだから恨みっこなし、にすればいい」が彼等「勝負師」たちの本音だ。
何にもしない、あんまりしない、が基本なのだが、かといって決して破格の条件というわけではない。
相場よりやや安い値付けで「もう赤字ギリギリです」と言いつつ、素晴らしく丁寧な説明や腰の低い姿勢の物言いで、困り顔で汗をかきながら見積もりを「キモチ程度」下げた末に折り合いをつけるので、発注者側の交渉成果への満足度は非常に高い。「勝負」の結果、納品後に大きなトラブルがなければ、リピート率は高くなり、方々からの注文が途切れることはない。
実作業者がほとんど不要なのだからいくらでも同時に受注できるし、納品運送まで自社でできれば、それこそ歩留まり最高の売上が維持できる。
ちなみにちゃんとした依頼者から、作業立ち合いや動画などのエビデンスの提出が要求されたとたん、自社を疑う相手に対する憤慨や侮辱への無念を訴えたり、
「他社荷主の作業が同庫内別ラインで同時進行していますので、顧客情報不開示の観点から、お得意様および取引先各社の作業場所立入りは禁止とさせていただいております」
「作業ノウハウ不開示の観点から、動画や内部作業手順書の提出はお断りしております」
なんていう優等生的正論と毅然とした態度で物腰柔らかく拒絶するのもおなじみの手口だ。
人当たりがよく理性的な物言いの担当者や責任者、経営者が多いので、素人どころか玄人でも判別できない。
それから、「これぐらいの企業なら大丈夫だろう」は必ずしも正解根拠とならない。
ちなみにその理屈で引っ掛かった本人が書いているので間違いないのだ。
体格と体質は別物。
なんてことは心得ているつもりだったが、まんまと混同して安直に思い込んでしまっていた自分自身の拙さにあきれて怒りを禁じえなかった。
そして、重検品や品質基準のあいまいな依頼が恒常化している荷主企業の体格と体質まで考えたりもした。
「製造品質にこだわらない企業」
「不良品ありきで廉価仕入・廉価販売を強みとする企業」
「安かろう悪かろう・キャンセルやクレーム多発、しかし売上伸長している企業」
などの台頭はもはや一過性のものではない、という現実から目を背けずに、それら企業を顧客として認めるか否か、まで考えた時期があった。
しかし「認めない」と決めたときから、顧客候補となる企業数が激減するという現実との向き合いとなる。
「いったいどうなっているのだ、今の物販事情は」
と唸りながら考えを巡らせることは、昔話ではない。
「売手だけの問題ではない」
そんな虚しい独り言をつぶやくのは私だけなのだろうか。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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