【あとがき】
拙ブログ開設以来最長となった今回の連載だが、書き始めた当初は【1】と今回の【あとがき】の内容で単稿とするつもりだった。
何行かを書くうちに、過去のさまざまな場面や言葉が思い出され、その場に居合わせた人々や印象に残っている言葉などの数々が脳裏に浮かんで、それらを語り部や狂言回し的な役割の誰かに吐かせたくなった。文中のA課長はそうやって生まれた。
当初は技術論に終始する中身を考えていたのだが、A課長や他の登場人物を設定したとたん、それぞれが言葉や思考を持つようになってしまい、途中からは物語の流れるままに任せて書いていた。物流屋の拙文ゆえ、中途半端で一本調子の素人作文だったが、技術以前の心構えやモノの始末の本質的な部分が伝われば、という思いで書き下ろした次第だ。
物語の先、A課長がいかにしてアナログで煩雑極まりない現場改善に挑むのかは、読者諸氏の自社現場での過去と照らし合わせてお考えいただきたい。
私自身も似たような経験が何度もあるし、拙ブログでもその端々を幾つかの原稿にちりばめて掲載してきた。我々物流人が目指すのは「標高ゼロの山頂」であり、その登り方やルートに正解はない。各社各自がそれぞれの事情や環境に従って、わが道を往くのだと思っている。
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コロナウイルスの蔓延はいまだ終息の兆しがみえないまま、重苦しい閉塞感を伴って居座り続けている。
今月半ばに発表されたGDP数値を確認するまでもなく、生活者感覚として、低調で委縮したままの景況を感知していた人々がほとんどだろう。
物流は消費の子なのだから、その母が病めば同じように床に臥せるようになる。
現在の物流業界の逆境は当然の因果によるもので、業界努力だけではいかんともしがたいことが、重くもどかしい現実として立ちはだかっている。
「では、俯き嘆き悲しんで、何かに祈りをささげて過ごすばかりなのか?」
という問いなど無用だろう。
終息して平穏が回復するまで、身の丈に合った我慢や工夫をすることなど拙文に表すまでもないことだ。災いから再起するための手本ならこの数十年を振り返ればいくつも手に入る。
改めて見直し、思い出し、体験者に聞いてみれば何らかの答にたどり着けるに違いない。
泣きっ面を蜂に刺されるがごとく7月に列島を襲った集中豪雨にしても、そのすさまじさは、もはや梅雨ではなく雨季とでも呼び名を変えたほうがふさわしい。
それに続いて、8月の幕開けとともに、また今年も灼熱の日々が続いている。
もはや「暑い」ではなく「熱い」と表現するほうが相応しい24時間耐熱生活は、長期化して先の視えないコロナ禍や豪雨災害の弱り目に祟るように人々の毎日を無差別に見舞う。
この数年あまりで、都市部の夏季には冷房が必需で不可欠となった。
「停電リスクは生命を脅かす」という記述は極論でも誇張でもないのだ。
世間の関心が例年になく低いながら、今年も決算公告が上場公開各社から発表された。
毎度似たようなことを書いているが、モノを運ぶ手間賃と諸経費の多くは、付帯費用や最終価格に転嫁されて内包状態での負担が専らなため、切り取って計算した結果には驚きや戸惑いの声すら上がることは珍しいことではない。
「物流業」と一括りにされている企業群の売上を上位から並べてみればわかりいいだろう。
反対側からの視点に置き換えれば、企業コストにおいて物流機能の占める割合は大きいということになる。業態によっては最大比率となることも少なからずだ。
しかしながら仕入れやその他販管費のようにきめ細かいコストダウンやカットの具体策を講じにくいのも事実であり、それはひとえに企業内に物流専門職がいない、もしくはいても権限が不十分である、経営陣の実務関与希薄、などの組織上の理由に因るところ大である。
いつもながらの指摘だが、役員クラスが現場を視察すれば、一気に事態は明るい場所で順序と確認を経て因果の詳細がはっきりとする。なぜなら、現場というお白洲でしかるべき能力と実績を持ち合わせた経営者かそれに準じる人物が奉行を務めれば、他業務と同様に解決への方程式が組まれ、答が導き出されるに違いないからだ。その事件がなぜ起こり、他のお蔵入りや未報告の出来事や不可解なハナシなどにつながる糸口が視界や耳に入る可能性が高い。
「なぜならあなたは社長なのだから」というセリフで終わる過去に掲載した下記のハナシもお読みいただきたい。
数え切れぬほど書いたり言ったりしてきたが、新メニューや付加サービスのヒントだけでなく赤裸々な顧客欲求がむき出しになっているクレームの発生時に、事業執行の責任者やそれに準じる要職者がかかわらない・立ち入らないことが、企業の明日にとって不利益であるということを今一度考えてみるべきではないだろうか。
儲からない・無駄が多い・ロスが目立つ、などの小言が一向に無くなることなく常態化している理由の一端が倉庫にある可能性は高い。
かすかでも予感が過るなら、迷うことなく自社倉庫を訪問すべきだと経営陣には伝えたい。
手ぶらで帰ってくることはまずありえない、と私の経験上では断言できる。
暑かったり寒かったりするからといって、端折ったり駆け足になったり、途中で切り上げたりは厳禁だ。そこは自社の従業員が汗にまみれ、寒さに耐えながら自社商材を顧客に届けるために懸命に作業している前線なのだ。せめて同じように蒸せるような熱湿の中で汗をぬぐい、寒気に襟もとを閉めて身をすくめながら庫内を歩くことぐらいは厭わずにやるべきだ。
企業内には善人も悪人もいない。
いるのは「強い人」と「弱い人」だ。あくまで仕事をしている時間に限ってのたとえなので、その人本来の気質や人となりについての決めつけではないことをあらかじめ断わっておく。
企業人としての役割をこなすうえでの人格という視点での区分だ。
そしてその区分けにしても、いくつかの偶然や巡り合わせの産物としての評価や批判、苦境や幸運や希望や絶望、歓喜や悲嘆などの果てに、他者に先回りして自身で思い込んだり諦めたりしてしまう類の不確かなものなのだと思う。
「あの人は〇〇〇な人だ」という他人の評価や言葉よりも、「私は〇〇〇な人間だ」という自分自身の思い込みのほうが、自虐や絶望もしくは不遜や希望の種となることがはるかに多い。
そしておそらくきっと、その実感は偏向でも特別でも少数意見でもないだろうし、今まさにその渦中にあって、苦しんだり、迷ったり、意気軒高だったりする読者がいるかもしれぬ。
私は大きな組織に属する人の苦衷や忍耐の現実を知らない。
経験したことがない外部者ゆえに、聞いたハナシや読み物などの内容を、時として不思議で不合理で不実に感じたりもする。しかし、だからと言って当事者を差し置いて評論する乱暴さや不遜さは厳禁と戒めることぐらいはできるつもりだ。
知友人の、奇天烈だったり言葉なく悲しみに沈むようなエピソードや物語の数々。
それは当事者本人にとって、まさに悲喜こもごもとしか言いようのないいくつもの出来事や境遇の到来だったと記憶している。
利害無縁の知り合いや友だち関係にある私にとって、その当人との「今から」にまったく影響を及ぼすものではないのだが、人事や転職ののちに縁遠くなったり距離感が変わる人は多い。
自分自身の思い込みによる人間関係の濃淡が、そもそも見当違いだったのかもしれないが、全部が全部そうとばかりも言えない気がする。
企業物流に携わるすべての人に申し上げたいことはいつも同じだ。
「あなたは必ずできるはずだし、その個性ある能力を疑ってはならない」
ということである。
魔が差す、付け入る隙となる、悪循環に陥る、などの言葉が適当な表現といえるような万事低調な時に限って、大きな決定や行動を求められたり、自身で追い込んで単眼的に選択してしまいがちなことは皆同じだ。
そんな時に利害無縁の誰かに相談や愚痴をこぼすことが、頭の整理になったり気分転換になったりして、まわりまわって修羅場や土俵際からの脱出につながることもあろう。たとえそれが無駄であっても、そもそもが利害抜きの相手なのだから、関係に何らかの影響や変化など起こるはずもない。普段からそういう人物が交流関係のつながり図にいるなら、口に出さずともよいので感謝して大切にしておくことをおすすめする。
思い浮かばない方々も、改めて周囲を眺めてみれば、必ず「その人」はいるはずだ。
そしてその人は消沈して俯くあなたにきっとこう言ってくれる。
「あなたはダメではない。あなたの仕事もダメではない」
不肖私も読者諸氏の確かな毎日を願っているひとりだ。
【2021年4月28日追記】
本連載ですが、後半部を相当に加筆修正した内容で2021年2月1日からLOGISTICS TODAYにて14回の連載となりました。より読みやすくなっていると自負しております。あとがきでの告知は恐縮なのですが、「再読してやろう」という奇特な方は是非お楽しみください。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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